を受けながら、丸田の顔をつくづくと見た。
「あんたは会計の方の係りだから、知ってるでしょうが、石村証券の経営状態は、今のところ、どうなっていますか。」
「赤字ですなあ。」
「それじゃあ、退職金も出せませんか。」
五十過ぎた律儀な丸田は、妙な顔をして青木を眺めた。
「退職金について、石村さんは約束したことがありますね。」
それは事実だった。石村商事を石村証券に切り換える時のことだった。どうせ当分は仕事もあまりあるまいが、諸君の生活は僕が保証する、と石村は社員たちに誓った。そして退職金については、一年間の勤務につき一ヶ月分の給与の割合で出すから、黙って仕事をしていてくれ、と約束したのである。
丸田はなだめるように言った。
「会社の方はだめですが、心配はいりませんよ。私にはよく分りませんが、商事時代にたくさん儲けていますし、石村さんの資産は相当なものだと思われるふしがあります。社員の退職金なんか問題じゃないでしょう。」
青木はもう外のことを考えて黙っていた。
「何を考え込んでいますか。景気よくやりましょうや。」
丸田は酒を誂えて、青木にもすすめた。
「いったい、何が問題なんです。」
間を置いてだったので、丸田は眼を丸くした。
「石村さんにとって、何が問題なんですか。」
「そんなことは私には分りませんね。」
「万里の長城です。日本に万里の長城を築こうというんです。だから、ばかげてるじゃありませんか。それを誰が言い出したかと言えば、この私です。だから、ばかげてるじゃありませんか。それもこれも、みな酒のせいです。だから、ばかげてるじゃありませんか。」
丸田は怪訝な面持ちで黙っていた。
「いったい、ひとをやたらに疑ったり、ひとをやたらに信じたりするのが、間違いの元です。だから、何でもないことがスパイに見えたり、何でもないことがスパイのスパイに見えたり、大間違いの結果になります。ばかげてるじゃありませんか。私は断然嫌ですね。みな酒のせいです。だから、私は酒をやめますよ。」
そして青木は立て続けに酒を飲んだ。
「まったく、今日はあんたはどうかしていますね。」
覗き込んでくる丸田の顔を、青木は眼を大きくして眺めた。
「あ、丸田さんでしたか。」
「これは、御挨拶ですね。今迄誰と話をしていなすったつもりですか。」
「え、何か言いましたか。聞き流しておいて下さい。少し気持ち
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