をやってた者で、こんどもさまざまな雑貨を並べ、内々は闇取引をもしていました。そこの主人の大井増二郎が、ちょいちょい清水恒吉のところに顔を出しました。別に用もないのに来ることもあれば、食糧品を持って来ることもありました。
 その大井増二郎が、時によって違う話を、言いにくそうに切り出すのでした。
 池に金魚をお飼いなさいと勧めました。――池に湧き水がしてるということが、大変よい条件になる。金魚の色、黒や赤や青やその他の間色から、その染め分けの模様まで、あれは固定してるものではなくて、いつも徐々に変化する。色が濃くなったり、褪せたりする。模様も変ってゆく。ところが、或る期間、清冽な水のなかに置いておくと、色の濃淡から模様まで固定してしまって、其後はどんな水に飼おうと、生涯変らない。この変らない金魚が、最も高級品である。清水家の池なら、その高級品が育てられる。湧き水のところだけを堰きわけ、淀んだ方で優秀な色合いのものを育て、泉の方でその色合いを固定させるのだそうである。
 また、池を貸して下さらないかとも言いました。――金魚池にするのである。東京の金魚屋は殆んど全滅してるので、金魚を育てて売り出せば、如何に高価でも多量でも充分に捌ける。それに、餌は容易く得られる。下水溝の露出してるところが多く、いとめがうようよ繁殖するに違いない。金魚の専門家で協力したいと言ってる者もあるそうである。
 また、池のところだけ売って下さらないかとも言いました。――あれだけの面積を、ただ遊ばしておくのはつまらない。普通の地所と同じ価格で譲り受けたい。決して目障りになるようなことはしないそうである。
 また、所有の地所をそっくり貸して下さらないかとも言いました。――勿論、今建ってる家は相当の価格で譲り受けた上のことである。それにバラックの建て増しをして、デパート式の商店にする。池のそばには喫茶店を出す。繁昌すること請け合いである。もっとも、二年なり三年なりと期限つきでも宜しいし、本建築を清水家でする場合には、いつでも、バラックは取り壊し、地所は返すと、そういう条件でも宜しい。決して迷惑はかけないそうである。
 そういうことをいろいろと、大井増二郎は、遠廻しに匂わしたり露骨に言い出したりしました。なにか金儲けを考えてるようでもあれば、そうでないようでもあって、中心点がはっきりしませんでした。
 はじめはいい加減に聞き流していた清水恒吉も、次第に気になってきました。
「いったい、あなたが本当に考えていられることは、どういうことですか。」
「ですから、その、池を貸して頂いてもよろしいですし、売って頂いてもよろしいですし、池だけでなく、地所全体を貸して頂いてもよろしいのですが……。」
「つまりは、池が問題なんですね。」
 大井増二郎は顔を伏せ、上目使いに相手をちらと見て、慌てたように言いました。
「いえ決して、そのようなわけではございません。ただ思いつきだけでなく、充分考えた上のことですから。」
「だから、その、本当の考えを、打ち明けて貰えませんかね。事によっては、御相談に乗りましょう。」
「そう仰言って頂ければ、実に有難いのです。失礼なことで、お気を悪くなさりはすまいかと、心配しておりました。」
「御近所のことですから、御遠慮なく言って下さい。そこで、池をどうなさるつもりですか。金魚を飼って、喫茶店でも出すと、ただそれだけのことではありますまい。」
「それはもう、金魚なんか、是非にというわけではありませんが、それにしても、このままにしておくのは惜しいものですな。」
「では、どうすれば宜しいんです。」
「まったく、何とかならないものかと、考えてみましたんですが……。」
 それきり、大井増二郎は口を噤んでしまいました。恒吉が更に追求しますと、話は初めに逆戻りして、それからまた、曖昧なところへ落ちこむだけでした。
 ばかげたことだ、と恒吉は思いました。然し正体がはっきりしないだけに、折ふし、気にかかりました。
 池はいつも平静で、あたりに植木が添えられたため、風情を増しました。恒吉は朝に夕に池を眺めて、池を中心にした庭造りなどの考案をめぐらしました。あたりが焼け野原となり、畠が耕作されてるので、普通の庭ではそぐわず、なにか特別な考案の必要がありました。
 そういうことを思いめぐらしてる恒吉の耳へ、へんなことが伝ってきました。
 ――池の中に子供の死体があって、まだそのままになってるというのです。
 ただそれだけの噂でしたが、それが近所で囁き交わされ、かなり拡まっているようでした。辰子がそれを聞きつけて、恒吉にも伝えました。甚だ単純な噂で、何の根拠もないものだけに、却って、銭湯の中や、配給品を受ける行列の中などで、お上さんや娘たちの間で囁かれて、拡まったのでもありましょう
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