ところに登りたくなって、効果が消えるまでは下りて来ない。アラビアのラッフィング・プントの実をたべると、やたらに愉快になって、笑い歌い踊り、疲れて倒れるまでは止まない。また、故人の初盆に一家揃って写真をとったところ、一同の後ろ上方に、ぼんやり白いものがあるので、よく見ると、それが故人の姿だったと、そういう種類の話は無数にある。ところで、かかる薬草の効果や霊的異変はぬきにして、肉体そのものに執拗な生命力がからみついてる、新らしい怪異を紹介しよう。怪異といっても、これは全く事実談である。
私の或る知人の家で、潮来の近くへ釣りにいったそのみやげを貰った。新聞紙にくるんで三時間あまりにさげてこられた川魚であるが、そのなかに、三匹生きてるのがあった。三四寸の鮒二匹と、一尺ばかりの鯰一匹。丁度庭に小さな池があって、何にもはいっていないので、その三匹の魚をはなっておいた。
それから半年ばかりたってのこと、或る朝、池の鯰が、仰向になって水面に浮いている。どうしたことか、今迄元気だったが、俄に死んでしまったのだ。すくいあげて、とりあえず、コンクリートのたたきの上に置いておいた。
その鯰の死体は、それきり忘れられた。天気のいい日で、春のことだけれど、コンクリートの上で日にてらされて、夕方思い出された時には、もう皮膚がかさかさになっていた。それを、池から二間ばかりのところに、一寸土を掘って、埋めてやったのである。夕方なので、急いで、尾の先がまだ少し土から出ていたが、そのままにしておいたと、埋めた女中は云っている。
その翌朝、早起の奥さんが、雨戸をくって、何気なく庭に眼をやると、池のそばに、鯰がしゃがんでいる。穴からはいだして、池のそばまでやってきてるのだ。水をかけてやると、ぱくりぱくりと、それを吸う。
それからが、大変だ。家中起き上って、鯰のそばに集った。夕方埋めたところは、別に取り乱した形跡もなく、鯰のぬけ出した跡だけが残っている。池には他に鯰ははいっていない。それかって、鯰のことだ。そうやたらにその辺にいる魚ではない。昨日の鯰にちがいない。
そいつを、池にはなしてやると、あの長い鬚をつんとさして、大きな頭をふりたてて、何度か池の縁を泳ぎまわって、それからすっかり元気になって、水底にもぐってしまった。一日陽にほされ、一晩土に埋められ、とにかく一昼夜水から離れていて、そして生き返っているのである。
この話、誰もすっかり信ずる者はなさそうだが、然し当事者たるその家の人たちは、他に疑念のもちようがないので、不思議なまた不気味な鯰として、今でも時々池をのぞいている。
これは鯰のことだが、人間の肉体にだって、これ以上のことが起らないとは限らない。死後二十四時間以内には、死体を取納めていけないことになっているが、死体の命の長短を測定出来たら、どんなことになるか分ったものではない。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月22日作成
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