引寄せたカーテンについてる、それぞれの番号が、通路のぼんやりした電灯の光に、いやにくっきりと浮出して、それはもう、寝台の番号ではなく、その中の人体の番号でもなく、変に遊離した数字にすぎない。その遊離した数字が、淡い不安な空気をかもし出す。そして、大きな声や足音を、おのずから禁止する……。
 夜更しの習慣の私は、早くから寝静まる寝台車からのがれて、食堂車に腰をすえていた。腹はすいていないし、ゆっくりやるには、いきおい、ビールか日本酒だ。
 ところが、時間すぎの食堂車というのが、また変なもので、大抵は、連れのある客というものがない。一人ぽっちの者だけで、それが二人か三人、あちこちの隅に腰を下して、互に見るような見ないような、中途半端な眼付で、何やらぼんやり考えこんで、時々思い出したように、ビールか酒かをのんでいる。ボーイ達も奥に引込んで、カウンターに居残ってるのが、不愛想な投げやりな表情をしている。卓布がいやにだだ白く、貧弱な花が淋しくゆれていた。こんななかでうまかろう筈もない酒やビールを、孤独な客たちは、ただ機械的に飲み続ける。
 機械的に飲んでも、酔うのに変りはない。無言のうちに、そしてぼんやりした沈思のうちに、私もどうやら酔ってきて、なつかしい故人たちのこと、親しい友だちのこと、恋人……がもしあればその人のこと、などを夢の中でのように考えながら、現実の汽車の動揺と響きとに全身を、宿命的にうち任せて、もう睡眠の方へ――自分の塒の方へと、食堂車を出で、皆うとうととしてる普通車を通りこして、そして寝台車にさしかかった時……。私は驚いて立止った。
 みな一様にカーテンが引かれて、その一つ一つに数字が際立ってる、ひっそりしたなかに、丁度私の顔の真正面に、にゅっと、裸の足が一本つき出て、ゆらゆらと動いてるのである。それが、初めの驚きからさめた私の眼には、もう人体の一部とは映らなくて、何だか無生物的な、大根の切瑞か蝋細工かのように映った。
「もしもし……。」と私は云った。そして一呼吸の後、「もしもし、足がおっこちますよ。」
 カーテンの向うに、はっとした気配がして、そしていきなり、すっと足が引込んだ。瞬間に、私はぞっとして、駆けぬけたのだった。
      *
 前述の人の足の一件は、後から考えると滑稽であるが、実際その時には、足が引込んだ瞬間、ぞっと無気味なものに襲われたので
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