の塚本老人が、山川家のことといえば、余りに何事でも知りすぎているのが、山川正太郎にとっては不快でした。親戚の繋りあいを詳しく知っていたり、資産状態を詳しく知っていたりすることは、便利ではありましたが、その知識のあまり、勝手な計画や策略をめぐらしている様子が、やがて見えてきました。
 父の放漫な暮し方のため、資産状態が可なり危ないことになっているのを、山川正太郎はうすうす知っていました。そしてそのことは、父の死後、塚本老人によって具体的に明示されました。
「しかと、方策を立てなければなりますまい。お母上はあの通りでいられますし、あなたの責任が重いというわけでございますよ。」
 ただそういう風に、塚本老人は言いました。
 ところが、その方策の一つがもう、塚本老人自身によって考案され、実行に移されかかっているのでした。
 山川家が所有してる工場が一つありました。規模はささやかなものでしたが、そこに、可なりの資材が蓄積されていました。それは塚本老人の配慮に依るとのことでした。資材のなかの主要なものとして、美製鋼板、俗にミガキ鋼板というのが約八十噸あまりありました。
 そのことを、工場長の上原稔
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