でありましたが、彼女の両の眉は少しく寄りあっていました。
 山川正太郎は唇をかみしめました。
 ――ここにも、俺の決意を待ってるものが一つある。も一回やるか。
 見廻しますと、絨緞からはずれた床板に、まだ、ちらちらと光る細かい破片が散り残っていました。
 それを、彼は彼女にさし示しました。
「あれが分りますか。僕のダイヤです。」
「ええ、存じております。」
 明快に答えた彼女を、彼はふしぎそうに眺めました。彼女はちらちらと微笑みました。
「近くにおりましたのを、御存じなかったのでしょうか。」
 言われてから、彼もそれを思い出しました。

 宴席の間を、塚本老人がしきりに斡旋してまわっていたことは、山川正太郎にとっては、眼に余るというよりもむしろ不愉快でありました。
 この老人、塚本堅造は、若い頃から、山川正吉の傍についてまわっていました。けれど、その智恵袋ともなれず、相談役ともなれず、まあ鞄持ち程度に終ってしまい、老後には、僅かな建物の差配役というところに納ってしまいました。だから却って、正吉の歿後五十日のこの宴席を取り持つのは、当り前だと言えないこともありませんでした。
 けれど、この塚本老人が、山川家のことといえば、余りに何事でも知りすぎているのが、山川正太郎にとっては不快でした。親戚の繋りあいを詳しく知っていたり、資産状態を詳しく知っていたりすることは、便利ではありましたが、その知識のあまり、勝手な計画や策略をめぐらしている様子が、やがて見えてきました。
 父の放漫な暮し方のため、資産状態が可なり危ないことになっているのを、山川正太郎はうすうす知っていました。そしてそのことは、父の死後、塚本老人によって具体的に明示されました。
「しかと、方策を立てなければなりますまい。お母上はあの通りでいられますし、あなたの責任が重いというわけでございますよ。」
 ただそういう風に、塚本老人は言いました。
 ところが、その方策の一つがもう、塚本老人自身によって考案され、実行に移されかかっているのでした。
 山川家が所有してる工場が一つありました。規模はささやかなものでしたが、そこに、可なりの資材が蓄積されていました。それは塚本老人の配慮に依るとのことでした。資材のなかの主要なものとして、美製鋼板、俗にミガキ鋼板というのが約八十噸あまりありました。
 そのことを、工場長の上原稔
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング