苦痛と流血とに喘いでるのもある。
 主体的見地から、主観的に考える時、堅固な拠り所のある大地の上で苦しむのと、掴み所のない流動してる水の上で苦しむのと、その苦悶の度は果して何れが大きいであろうか。吾々自身、重傷になやむ時、身体をよせかけ手をもたせ足をからませる物のある場所と、何の手掛りもない平面上と、どちらを選ぶであろうか。外科手術の場合、身体を緊縛することは、消極的な一面に於ては、たとえ無意識的にせよ被手術者が苦痛に堪え得る便法となるそうである。
 然しながら、吾々は手術台の上で身体を緊縛されて死することを、最も苦痛だと想像する。次は、室内、次は、広々とした野原。次に、水上。次は、空中。何等の拠り所も掴み所もない場所に於ては、苦悶も苦悶とならないかも知れない。
 この、主観と客観との交錯は、芸術のもつ魅力の一つであろう。
 事実、私は東京湾の鴨猟を余りに芸術的に見たかも知れないけれども、この鴨猟に残酷みを感ずること少いのを以て、私の心情を責める人があるとすれば、それは……理屈をぬきにして、ただ、まだ湾内の鴨猟を知らない人だと、それだけ云いたい。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻
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