活人形
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ターコール僧正《そうじょう》という
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|文《もん》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しま[#「しま」に傍点]
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一
むかし、インドに、ターコール僧正《そうじょう》というえらいお坊《ぼう》さまがいました。むずかしい病気《びょうき》をなおしたり鬼《おに》をおいはらったり、ときには、死人《しにん》をよみがえらしたりするほど、ふしぎな力をそなえていられるという評《ひょう》ばんでした。そしてたいへん慈悲深《じひぶか》くて、なんでも貧乏《びんぼう》な人たちにめぐんでやり、自分は、弟子《でし》の若《わか》いお坊《ぼう》さんと二人きりで、大きな、ぼだい樹《じゅ》のそばの小さな家に、つつましく暮《くら》していました。
そのターコール僧正《そうじょう》が、ある日、庭《にわ》のぼだい樹《じゅ》のこかげのベンチに腰《こし》をおろして、休んでいますと、みすぼらしいなりをした、年とった男がたずねてきました。悲《かな》しそうなおどおどしたようすで、僧正様《そうじょうさま》にお祈《いの》りをしていただきたいと申すんです。
「お祈《いの》りはわたしの仕事《しごと》だ。してあげましょう」とターコール僧正《そうじょう》は答《こた》えました。
男はしばらくもじもじしていましたが、顔《かお》をふせていました。
「お礼のお金をもっておりませんが、ただでお祈《いの》りをしてくださいましょうか」
「お祈《いの》りはわたしの仕事《しごと》だ。お金がなくてもしてあげましょう」を僧正《そうじょう》は答《こた》えました。
男はしばらくして、またいいました。
「ここではございません。わたくしどもの宿《やど》まできてお祈《いの》りをしてくださいましょうか」
「お祈《いの》りはわたしの仕事《しごと》だ。行ってあげましょう」と僧正《そうじょう》は答《こた》えました。
男はしばらくしてまたいいました。
「わたくしのためにではございません。人間のためにではございません。こわれかけた大きな人形が一つございます。そのためにお祈《いの》りをしてくださいましょうか」
「お祈《いの》りはわたしの仕事《しごと》だ。その人形のためにしてあげましょう」と僧正《そうじょう》は答《こた》えました。
男はうれしそうに、眼《め》をかがやかして、僧正《そうじょう》の顔《かお》をながめていいました。
「ほんとうでございますか」
「お祈《いの》りはわたしの仕事《しごと》だ」と僧正《そうじょう》はほほえんで答《こた》えました。「一|文《もん》もお金をもらわないでも、あなたの宿《やど》まで行って、そのこわれかけた人形のために、お祈《いの》りをしてあげましょう」
二
大きなぼだい樹《じゅ》のあるターコール僧正《そうじょう》の家から、一|里《り》ばかりはなれた町のはずれに、きたない宿屋《やどや》がありました。見すぼらしい年とった男は、そこへ僧正《そうじょう》を案内《あんない》してきました。そしてみちみち、僧正《そうじょう》へ自分の身《み》の上を話しました。
彼《かれ》はコスモといって、女房《にょうぼう》のコスマと二人で、諸国《しょこく》をへめぐっている人形使《にんぎょうつかい》でした。天気のよい日町や村の広場に人をあつめて、コスモが人形を踊《おど》らせ、コスマがマンドリンをひいて、いくらかのお金をもらい、そして方々|旅《たび》をしてあるいているのでした。ところが、そういう生活《せいかつ》は時がたつにつれて、はじめほど面白《おもしろ》いものではなくなってきました。天気は毎日|晴《は》れるものではありませんし、お金はいつももらえるとはきまりません。それに方々の土地《とち》も見つくしてしまいました。だんだん年もとってきました。人形もこわれかけました。いっそ故郷《こきょう》へ帰《かえ》って、そこで百姓《ひゃくしょう》をしてる息子《むすこ》のところで、残《のこ》った生《しょう》がいを送《おく》ろう、とそう二人は相談《そうだん》しました。
ちょうどそのとき、この土地《とち》にたいへんえらい坊《ぼう》さまがいられるということを聞《き》いて、二人は、今まで自分たちを養《やしな》ってくれた人形のため、その坊《ぼう》さまにお祈《いの》りをしていただいて、そして故郷《こきょう》へ帰《かえ》ろうと思ったのでした。
そういう話を、ターコール僧正《そうじょう》はにこにこしながら聞《き》いていました。
宿屋《やどや》について、奥《おく》のせまい室《へや》にはいっていきますと、コスマはぼんやり考えこんでいました。
「僧正《そうじょう》さまがいらしたよ」とコスモは大きな声でいいました。
コスマはびっくりして飛《と》びあがるようにたってきて、ターコール僧正《そうじょう》を迎《むか》えました。
僧正《そうじょう》はあまりよけいな口をききませんでした。そしてすぐに尋《たず》ねました。
「人形は?」
「はい、これでございます」
コスモとコスマは、室《へや》のすみの釘《くぎ》にさがってる人形のおおいを取りました。赤と黄と緑《みどり》と青と紫《むらさき》との五|色《しき》のしま[#「しま」に傍点]のはいった着物《きもの》をつけ、三|角《かく》の金色の帽子《ぼうし》をかぶり、緋色《ひいろ》の毛靴《けぐつ》をはいて、ぶらりとさがっていました。その帽子《ぼうし》や着物《きもの》や靴《くつ》はもとより、顔《かお》や手先《てさき》まで、うすぐろくよごれていて、長年のあいだ旅《たび》をしてあるいたようすが見えています。
僧正《そうじょう》はそれをじっとながめました。
「お祈《いの》りをしてあげましょう」
僧正《そうじょう》は紫《むらさき》の衣《ころも》をきました。人形の前に香《こう》をたき、ろうそくの火をともしました。そしてじゅず[#「じゅず」に傍点]をつまぐりながら、祈《いの》りをはじめました。窓《まど》からさしてくるぼーっとした明るみのなかに、香《こう》の煙《けむり》がもつれ、ろうそくの火がちらついて、僧正《そうじょう》の祈《いの》りの声はだんだん高まってきました。
人形が、びくりと動《うご》いたようでした。はげかかってうすよごれのしてるその顔《かお》に、ろうそくの光《ひかり》がうつって、ほんのり赤みがさしてきます。眼《め》が大きくなります。今にも口をききそうです。その口|元《もと》にはもう、やさしい笑《え》みをうかべています……。僧正《そうじょう》の祈《いの》りの声は高く低くつづきます。
コスモとコスマは、びっくりしたような気持《きもち》で、人形の顔《かお》に見入っていました。もう眼《め》をそらすことができないで、いっしんに見入っていました。僧正《そうじょう》の祈《いの》りの声と、ろうそくの光《ひかり》と香《こう》の煙《けむり》のなかで、人形がうっとり笑いかけたとき、コスモとコスマの眼《め》からは、涙《なみだ》がはらはらと流《なが》れました。そして涙《なみだ》を流《なが》しながら二人は、人形の顔《かお》を見つめていました。
三
ターコール僧正《そうじょう》のお祈《いの》りで生きあがった人形……活人形《いきにんぎょう》……。
そういううわさで、町はわきかえるようなさわぎでした。そしてその活人形《いきにんぎょう》の踊《おど》りを見ようとおもって、町の人はもとより、近在《きんざい》の人まで、美《うつく》しく着《き》かざって、町のにぎやかな広場に集ってきました。
見物人《けんぶつにん》たちが美《うつく》しく着《き》かざってるのにくらべて、人形使《にんぎょうつかい》の方はひどく粗末《そまつ》ななりでした。コスモはなんのかざりもない色のあせた黒《くろ》い服《ふく》をつけ、まんなかにすりきれたふさ[#「ふさ」に傍点]のついてる大黒帽《だいこくぼう》をかぶり、木靴《きぐつ》をはいていました。コスマは、赤茶《あかちゃ》けた服《ふく》をつけて、古いマンドリンをかかえていました。そして広場の中には、うすいむしろがしいてあるきりでした。
けれども、コスモもコスマもいっしょうけんめいでした。その日にやけた年とった顔《かお》には、いつにない若々《わかわか》しい元気がうかんでいました。彼《かれ》は額《ひたい》に汗《あせ》をにじましながら、つよい調子《ちょうし》でいいました。
「わたくしは、もう人形使《にんぎょうつかい》をやめまして、故郷《こきょう》に帰《かえ》るつもりでおりました。この人形も、もう人様《ひとさま》にお目にかけないつもりでおりました。ところが、ターコール僧正《そうじょう》さまのことをききまして、わたくしどもを長いあいだ養《やしな》ってくれましたこの人形のために、一|度《ど》お祈《いの》りをしていただきたいと考えました。そして僧正《そうじょう》さまにお願《ねが》いいたしました。僧正《そうじょう》さまはすぐに承知《しょうち》してくださいました。わたくしどもの宿《やど》まできてくださいまして、人形のためにお祈《いの》りをしてくださいました。そのお祈《いの》りのさいちゅうに、この人形はいきいきとした顔《かお》になって、わたくしどもに笑《わら》いかけました。わたくしは、わたくしどもは、それをはっきり見ました。ほんとうに笑《わら》いかけました。生きあがりました。わたくしどもは、ただうれし泣《な》きに泣《な》きました。……そして、人様《ひとさま》のおすすめによりまして、この人形を、ターコール僧正《そうじょう》さまのお祈《いの》りで生きあがったこの人形を、さいごに一|度《ど》だけ、みな様にお目にかけることにいたしました……」
それは、いつも人を呼《よ》びあつめるこっけいな道化《どうけ》たあいさつとは、まるっきりちがった調子《ちょうし》でした。見物人《けんぶつにん》たちはへんな気がしました。そして、コスモが人形をそこへもちだしたのを見ますと、ふしぎでした。古いはげかかった人形の顔《かお》が、なるほど、いきいきとしていて、笑《わら》ってるようです……。
その人形の踊《おど》りが、またすばらしいものでした。年とったやせたコスモの手であやつられてるとは、どうしても思えませんでした。眼《め》をみひらき、はれやかに笑《わら》いながら、だんだんはげしく、しまいにはまるで気でもちがったように、踊《おど》りまわりました。日の光に、金色の三|角帽《かくぼう》がきらきらとかがやき、五|色《しき》の着物《きもの》がにじ[#「にじ」に傍点]のようにかがやきました。どう見ても、生きた人形が自分で踊《おど》ってるのでして、コスモはただそれについてまわってるだけでした。マンドリンをひいてるコスマも、人形を踊《おど》らせるためにひいてるのではなく、人形からむりにひかせられてるようでした。
見物人《けんぶつにん》たちは、人形の踊《おど》りに見とれて、夢《ゆめ》をみてるような気持《きもち》になり、声をたてるものもなくただうっとりとしていました。コスモもコスマもむちゅうでした。もう息《いき》もつけませんでした。そしてとうとう、踊《おど》りのさいちゅうに、コスモは力がつきてぱったり倒《たお》れてしまいました。同時《どうじ》に、コスマのマンドリンも、ぷつりと糸が切れました。
人形だけが、はれやかに笑《わら》いながら、ひとりで立っていました。
四
コスモとコスマとは、人形を大事《だいじ》にかかえて、故郷《こきょう》へ帰《かえ》っていきました。たくさんもらったお金を、半分ばかり、ターコール僧正《そうじょう》へおくりました。
ターコール僧正《そうじょう》は、お金をたくさんもらっても一|文《もん》も、もらわなかったときと同じように、別《べつ》にふしぎがりもしませんでした。そしてそのお金をみんな、貧乏《びんぼう》な人たちにめぐんでやりました。それから、二人の人形使《にん
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