した。二人の影が大きく背延をして天井まで届きました。
「おばーけ!」
繁は喫驚して母の膝に寄り縋りました。
「ちっとも恐かないわ。」と千代子は云いました。
私は立上って、何か恐い影を写してやろうとしました。途端に、電灯がぱっとつきました。皆は変梃な気持で顔を見合せました。私は蝋燭を手にしてつっ立ってる自分の姿を、明るい光の下に見出して、極り悪さのてれ隠しに、電灯の光に代って云ってやりました。
「今晩は。」
そして蝋燭の火を吹き消しましたが、その時、千代子の新たな影が畳の上に小さく蹲っているのを見て、また悪戯気分が湧いてきました。
女中が餉台を片附けてゆくと、私は電灯を低く引下げて千代子と繁とを相手に、壁に影を写して遊びました。拡げた両手の先をふらふらと動かし頭を下げて、すーと伸び上りながら、「おばーけ、」と云いますと、その影を見て、繁は急いで逃げて行き、千代子は眼を見張って我慢しています。やがて不安な遊びは、彼等二人をも引込んでしまって、三人でいつまでも影人形の遊びに耽りました。
「もうお止しなさいよ。」と叔母が云いました。
「それより叔母さんも写してみませんか。」と私は反対に勧めてみました。「叔母さんが長い髪を振乱して中腰で立つと、屹度本物のお化のような影が写りますよ。」
「お止しなさいよ、本当に!」と叔母は云いました。「子供が夜うなされて困りますから。」
私は昼間の言葉を思い出して、叔母は子供達よりも自分がうなされはすまいかと恐れているのだ、とそんな風に考えました。そしてなお執拗に影人形の遊びを続けました。
やがて、子供達の寝る時間になりましたので、叔母が彼等を寝かしつけてる間、私は二階に上って、叔父の書棚を片附けたりなんかしました。※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵のある書物はそれを一々眺めたりして、ゆっくり時間をつぶしてるうちに、だいぶたってからふと、縁側の硝子戸に自分の姿が、顔や手先の皮膚をなま白く浮出さして、底気味悪く写っているのを見付けました。それを見ると、天井板や床の間や唐紙《からかみ》の模様など、凡て眼新らしいその室の中が、心をそそるような冷かさに静まり返ってきて、同時に、先刻の影人形の遊びの気分がむらむらと湧いてきて、私は我知らず立上って、両腕を拡げ首を前に突出し変梃な蟹足の足取りで、「おばーけ!」と云いながら踊り出したものです。そして次の瞬間には、自ら喫驚して立悚みました。自分の踊りが余り馬鹿げきった変梃なものである上に、「おばーけ!」と云ったつもりの声が少しもでなかったのに、俄に気付いたのでした。ぞーっと怪しい気持に襲われて、逃げるように階下へ降りてゆきました。
叔母が茶の間にぼんやり坐っていました。私はその顔を見て喫驚しました。
「どうなすったんです!」
「どうって……あなたこそ。」と叔母は鸚鵡返しに云いました。
実際叔母は、しかめた眉の下に眼を円くし、口を尖らして、不満なのか悲しんでるのか分らない顔付をしていました。そして私は叔母の言葉で、自分の顔の筋肉が変に硬ばってるのを知りました。
私達は妙に無言になって、じっと坐っていました。暫くすると、向うの室の方で、何かひそひそと囁く声が聞えます。耳を澄すと、「恐い?……恐くない?」というような言葉や、「ほら、こんどは狐よ、」などという言葉が聞き取れました。
「ごらんなさい、」と叔母は云いました、「いつまでも寝つかないで、いろんな手真似をして脅かしあってるじゃありませんか。あなたがあんまり悪いたずらをするからですよ。」
そして叔母は何度も立っていって、子供達を叱ったり賺したりして、無理に布団の下に押し入れてるようでした。
そのうちに、子供達は眠ってしまい、夜は更けて、家の中がしいんと静まり返りました。まだ荷物の取散らされてる新らしい家の、鼻馴れぬ呆けた香りが、あたりの空気に漂っていて、妙に気持が落付きませんでした。私達の話は自然に叔父のことへ向いてゆきました。もう神戸……岡山あたりだろうかとか、いつ頃朝鮮へ着かれるだろうか、とかそんなことを話しながら、夜の中を走ってる汽車と、それに関連するいろんな想像上の椿事とが、心の奥に巣くってきました。そして二人は、遠くを見守る心地で、お寝みなさいとはいつまでも云い出しかねていたのです。女中までが隅の方で、妙にまじまじとした眼を真円い顔の中に見張っていました。
「おや!」叔母は突然顔を上げました。
「え?」と私は眼付で尋ねました。
「誰か来たのじゃないかしら?」
然しそんな筈はありませんでした。もう表の門も玄関の戸も早くから女中が閉めた筈です。それでも、暫くすると、叔母はまた誰か来たようだと云い出すんです。
「表をこつこつ叩く音がするんですよ。聞いてごらん
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