ったのですよ。」
 私は叔母の蒼白い顔を眺めながら答えました。
「それは引越に疲れたせいでしょう。」
 けれども心の中ではこう考えました。「この呑気な叔母も案外神経質だな。親しみのない新らしい家と、良人の旅行とのために、神経が興奮してるんだな。」
 けれども私達は、そんなことにこだわってはおられませんでした。前の家とはすっかり間取の模様が違っていましたので、家具を据付けたりなんかするのにも、何度かやり直してみなければ気が済みませんでした。それに道具好の叔父なものですから、いろんな品物がごたごたしていて、なかなかうまく治りがつきませんでした。その上、障子を張り替えたり、庭に盆裁を並べたり、いろんな用がありました。
 そんなことを隙にあかしてゆっくりやってるうちに、いつのまにか夕方になりましたので、また明日のことだと一先ずきりをつけて、叔母の心尽しの御馳走が並んでる餉台で、皆は楽しい晩餐をしたためました。可なり遅く八時頃だったと思います。新らしい家と主人の不在とのために、何だか電灯の光りまでが珍らしげな色合をしてるように感ぜられました。
 その電灯が丁度食事の終り頃、ふいに消えてしまったのです。千代子と繁とが驚きの声を立てたきり、動いていた皆の手や口や眼が途中でぱったり止って、暗闇の中にしんとしてしまいました。暫く待っても、電灯はなかなかつきそうにありません。叔母は女中に蝋燭を探さしました。女中は長い間かかって、漸く一本の小さな蝋燭を持って来ました。それを餉台の真中に立てて、皆は赤い光りの中でまじまじと顔を見合せながら、食事の終りを簡単に済しました。
 その時、箸を置いて立上りかけた繁が、ふいに大きな声を立てました。
「やあ、兄ちゃんの影が!」
 振返ってみると、後ろの壁に、馬鹿に大きな影が写っていました。ひょいと首を引込めると、影もひょいと首を引込めました。
「あら、影が踊ってるわ。」と千代子が頓狂な声で叫びました。
 私はその方を振向きました。すると、向うの壁にも、千代子と繁のとの影が二つ並んでいます。
「後ろを見てごらん、千代ちゃんと繁ちゃんとの影も写ってるよ。」
 二人は同時に振向いて、自分達の影を見ました。影の頭が動いて横顔になった途端に、小さな鼻の頭が少し覗き出しました。
「あら、繁ちゃんの影には鼻があるわ。」
 その時私は蝋燭を取って、ずっと二人に近寄せま
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