法師が塀からぬけ出して踊ってくれるといいんだがなあ」
そう皆は考えました。そしていつも塀の前に集まっては、何度もくり返して考えました。しかしそんなことが出来るわけはありません。
ところが、ある日、皆がやはりそこに集まって、同じことをこそこそ話し合っていますと、いつのまにどこからやって来たか、髪の長い見馴《みな》れない男が、そばにつっ立って笑っています。
「君たちはばかなことを考えてるね」
そしてやはり、塀の影法師を見て笑っています。
子供たちはそれがしゃくにさわりました。髪の長い見馴《みな》れない変な男ですけれど、それもかまわずに、皆でつめよっていきました。
「何を言ってるんだい。何がばかなことなんだい。影法師《かげぼうし》を踊らせようとするのが、何がばかなことなんだい。おもしろいことじゃないか」
見馴れない男は、さも愉快《ゆかい》そうに、はっはっ……と笑いました。そして言いました。
「なるほど、私が悪かった。それはおもしろいことに違いない。……それでは一つ私が教えてやろうか。その影法師を踊らせることを、教えてやろうか」
「え、おじさんはそんなことを知ってるの。教えて下さい。ね、教えて下さい」
「じゃあ教えてやろう。そのかわり、私の影も一つ、そこに写し取ってくれなくてはいけない。そして、明日の朝早くここに来れば、君たちの影法師は踊れるようになってるだろう」
子供たちは大変喜びました。そして塀《へい》の片隅《かたすみ》の空《あ》いてるところに、見馴れぬ男の影法師を写し取りました。もう太陽が高く昇っていましたので、男の影法師は低くぴしゃんこになって、おかしな格好でした。
「だめだよ、日が高くなってるから……。おかしいな」
「いや、それで結構《けっこう》だ」
そして男は、自分の変な影法師を見て、はっはっは……。と笑いました。
「それでは、明日の朝早く皆でそろっておいでよ」
男はそう言いいすてて、どこかへ行ってしまいました。
三
子供たちはその晩、おちついて眠れませんでした。自分たちの墨絵《すみえ》の影法師《かげぼうし》が、塀《へい》からぬけ出して踊りはねるというんですから、待ちきれませんでした。翌朝は早くから眼をさまして、皆誘い合わせました。大人《おとな》たちが何かたずねても、今にびっくりさしてやるという気持ちで、まじめくさった顔をして黙っていました。
やがて皆そろいましたので、胸をどきどきさせながら、長者の屋敷《やしき》の東の白塀《しろべい》のところへやって行きました。
ところが、一目《ひとめ》見ると、皆はあっと口の中で叫んだまま、おどろいて立ち止まりました。皆のおもしろい影法師がいっぱい立ち並んでいた白塀は、一面に何かでまっ黒に塗られてしまって、そのまっ黒な色がまたひどく濃《こ》くて、いわば闇の鏡みたいになっているのです。影法師どころか何一つ見えないで、ただ一面にまっ黒なだけです。
「はっはっはっは……」
高い笑い声がしたので振り向くと、昨日の男がそこに立って笑っています。
「私のあのおかしな影がね、一晩のうちに大きくなって、塀いっぱいにひろがったのだ。とんだことになってしまった」
それを聞くと、子供たちは急に怒り出しました。その男がだまかしたのだ。嘘を言ってるんだ。影法師が一晩のうちに塀《へい》いっぱいに大きくなるなんて、そんなことがあるものか。その男が塀をまっ黒に塗りつぶして、皆の影法師《かげぼうし》をなくしてしまったのだ。
「嘘つき、嘘つき。僕たちをだまかしたんだな」
そう言って子供たちはつめよっていきました。
「はっはっはっ……」と男は平気でなお笑っています。
「人をばかにしてる。なぐっちまえ」
気の早い子供たちは、棒ぎれを拾ったり、石をつかんだり、げんこを握りしめたりして、男へ向かっていきました。男は笑いながら、あちこちへ身をかわしました。ひどくすばしこい影のような男で、大勢《おおぜい》でいくら追っかけても、つかまえることが出来ませんでした。
「君たちはばかだな」と男は広場の中を逃げ廻りながら言いました。「そら、まっ黒な塀の中で、影法師が踊ってるじゃないか」
そう言われてから皆は初めて気づきました。東から出た太陽の光を受けて、黒い鏡のように光っている塀の中に、皆の影法師が浮き出していました。白塀《しろべい》にうつったのとちがって、奥深いまっ暗な中にうつってるものですから、そうはっきりはしていませんが、すかして見ると、ちょうど生きた人間のように浮き出しています。それが、皆が動くにつれてあちこちへ動き廻って、大勢《おおぜい》の本当の子供たちが踊ってるようなんです。
「おや、これはおもしろいや。ふしぎだなあ」
皆は黒塀《くろべい》の鏡に影法師をうつして、ふしぎそうにのぞきこみ
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