は、いろいろ曰く付きの物があり、またいろいろの言い伝えがあるものだ。それらのものが積って、家の格式とか伝統とかを形造ることが多い。然しそれらのものも、いつしか忘れられがちになったり、心にもとまらないほど遠い昔のことになったりする。殊に近代の空気に多少ともふれた、そして大まかな人は、それらの曰く付きとか言い伝えとかを、表面ではわざと軽蔑した風を装い、内心では倦き倦きしているのだ。ところが、それらの無視された昔の息吹きが、時あって、勢強く立上ることがないものだろうか。立上って復讐することがないものだろうか。あるとすれば、それが特殊な事件や一家の盛衰興廃などにからまると、風味ある小説になるだろうよ。
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 坪井君は当時、田舎の小さな町に暮していた。然るに、真夜中、丑三つの頃というのであろうか、顔色を変え息をつめて、がばとはね起きた。薄紗をかぶせた電灯の朧ろな明るみのなかで、茫然と見開いた眼には、明瞭な幻がまだ映っている。すらりとした白衣の女人が、血の気のない真白な顔をして、室の前の廊下を、滑るように、行きつ戻りつしている。その姿が、障子越しに、はっきりと見える。じっと眼
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