「私もよく存じあげております。」と李景雲はいって、なぜか、顔を赤くしました。そしていい添えました。「陳家の奥様のこと、よく存じあげております。」
「いいえ、そういうことではありません。」と秀梅は押っかぶせていいました。「じかに、どこかで、よく識っているような気がしますが……。」
 李景雲はうつむいて立っていましたが、呟くようにいいました。
「初陽台でございました。」
「初陽台……。」
 秀梅はそう繰返して、じっと李景雲の顔を眺めました。
「覚えていますか。」
「はい。」
 李景雲はまた顔を真赤に染めました。
 秀梅はそれきり口を噤んで、眼をそらしました。静まり返った湖水の面は、青空を映し、午後の陽光を孕んで、生き物のように輝いていました。
 食器の類を取りまとめていた※[#「槿のつくり」、85−上−18]香に、秀梅はきっぱりいいつけました。
「わたしはも少し遊んでゆくから、お前さんは先に帰って晩のお料理の仕度をみてやりなさい。」
 そうして、※[#「槿のつくり」、85−上−22]香を先に帰しまして、秀梅はまた舟を少し出させました。卓子の上には、茶菓が残されていました。その蓮の実の菓子
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