。それも、若い頃はさほど美人でもなかったが、年をとるにつれて美しくなってきた。全く異数の女だ。」
人々は意味ありげに眼を見合せました。
「その上、財産もあるというのだろう。」と一人がいいました。
「うむ、財産もある。」
「君に誂え向きだね。」とまた一人がいいました。
「惜しい哉、彼女は既に一度結婚したことがあるのだ。」と金田は答えました。
「それでは、妾の組だな。」と誰かがいいました。
「目下考慮中というところだ。まず乾杯しよう。」
一同は笑いながら乾杯をしました。
その時、乾杯に加わりながら、景雲はぱっと杯を床に叩きつけて砕きました。金田はじっと彼の方に眼を据えました。彼は即座に、強く自分の腿をつねって、その痛みに顔をしかめました。それが、何かの挑戦となったのでありましょうか、金田の拳が飛んで来て、彼の横面を一撃しました。彼はその痛みをもじっと怺えました。
金田の大きな顔が彼の眼の前に覗きだして、低く底力のある声でいいました。
「お前のような奴がいるから、俺はあのひとを保護してやらなければならないのだ。もうあの家へも出入を止めたがよかろう。」
そしてまた拳の一撃が彼の横面へ飛んできました。
彼は思わず立上ろうとしましたが、その時、金田の高い笑い声がしました。
「おい鶯妹、しっかりするんだぞ。この人は君から逃げ出そうとしてるぞ。首っ玉にかじりついて放すなよ。」
鶯妹も、ほかの妓たちも、びっくりして眺めますと、景雲はこまかく震えながら歯をくいしばっておりました。
「ははは、もう喜劇は沢山だ。」と誰かがいいました。「これで乾杯といこう。」
そして一同が乾杯をしています時に、李景雲は立上って室から出て行きました。
ただ不思議なことには、右のようなことが起った時、そしてその前後とも、陳秀梅の名前が誰の口にも上らなかったのであります。
その翌日の夜のことでありました。李景雲はただ一人、西湖の蘇堤を歩いていました。星辰清らかな夜で、月の姿は見えませんでしたが、湖面は仄かな明るみを湛えていました。景雲は多少の酒気を帯ているようでしたが、それよりも更に何か精神的な陶酔に陥っているらしく、足取りは弱々しいながら狂いがありませんでした。じっと眼を地面に伏せ、両手を胸に組んで、ゆっくりと歩きました。時々、頭を挙げて熱そうな頬を空に向け、星の光を仰いだり、胸の両手を伸
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