議となっている。」と当時国からの母の手紙に書いて来た。そしてわくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]は相変らず蝦蟇を捕えているそうである。
 ……右の話がどうして私の心に浮んだか、それは私も知らない。ただその話が妙にしっくり調和していたのである、私の気持ちと。
 兎に角私はその時妙に憤ってたのである。
 私は盥をうつむけてその下に蝦蟇を入れ、上に大きい石をのせて置いた。然し私はその晩、大変落付いていたのである。よく眠った。そして翌朝、盥の中にはその蝦蟇の姿が見えなかった。土を掘った形勢も更に無かった。凡ては前晩の通りになっていた。――万事が話の通りだった。
 それっきり蝦蟇は私の家の縁先に姿を見せなくなった。
 今でも私はよく縁側にじっと屈んで、垣根の所を長い間見守っていることがある。勿論其処には蝦蟇は居ない。然しそれでいいのである。そして私はふと死というようなことを考える。「人は憤った時に死ぬものだ!」と私は考える。蝦蟇が居なくなった。それが、凡てがよく調和している。落付いている。静かである。凡てを通り越して静かで落ち付いている。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)
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