憤っていた。と云って別に腹が立っていたわけではない。憤っていたというのが悪ければ、私全体が苛ら苛らして浮々していたのだ。それは気圧の影響だと思う。気圧は妙に人の心の雰囲気に影響するものである。
私は或晩、蝦蟇をうつ向けた盥の中に。入れて、上に大きい石をのせて置いた。翌朝蝦蟇は盥の中に居なかった。
ここに一寸余事を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]む――
私の国の田舎にわくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]として通っている一人者の貧しい老人が居た。蝦蟇のことを私の国では俗にわくどう[#「わくどう」に傍点]と云うのである。その老人は川魚を取ったり、些細な施与を村人から受けたりして、暮していたが、彼の重な収入はわくどう[#「わくどう」に傍点]に在った。蝦蟇を方々から捕えて来ては、それを町の古い薬種屋に売っていた。彼の藁家の庭には、細かい金網を張った檻が幾つもあった。蝦蟇が沢山入っていた。いつもぐぐぐぐと妙な声がしていた。生臭い空気がじめじめしていた。女や子供は到底見に行けなかった。彼は蝿や時には蚯蚓などを取って蝦蟇に与えていた。方々から捕えて来られた蝦蟇は、町の薬種屋の手に渡る前に、必ず四五日はその檻の中で過させられた。その間に彼等の価値の上下が定まるのである。
或時、村の若者が大勢そのわくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]の家に押し寄せた。稀代の大蝦蟇が取れたというのであった。人間の頭位の大きさで眼が金色に光ってるということであった。然し若者等の好奇心は満されなかった。もうそれはわくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]のうちに居なかった。
「へへへ、彼奴は神倉山の精でがすよ。俺等の手にはおえねえだ。返して来たから、行ってみなっせえ。まだ出てるかも知んねえ。」
わくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]はそう云った。皺寄った赤黒い顔の中から、小さな眼が睨むように覗いていた。
所が不思議なことには、誰もその大蝦蟇を見た者が居ないことだった。どんなだと聞いても、わくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]は、ただ大きいと云っただけで何とも答えなかった。人間の頭位の大きさで金色の眼をしてるという噂が何処から伝わったか、更に分らなかった。誰も見なかったのである。そしてわくどう爺[#「わくどう爺」に傍点]はそれについて一切口を噤んでいた。
「今に村の不思
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