から縄でぐるぐる巻いて締めつけたものです。味もよいし珍らしいので、お茶菓子にして、美津子さんもお呼びしました。そしてお茶をのみながら、美津子さんの勉強のことを母が尋ねますと、美津子さんはじっと母の顔を見て言いました。
「わたしは、自分の生い立ちの記を書いているんです。生れてから今日までのことを、細かく書き留めておくつもりです。それが、いくら書いても書いても、なかなか書きつくせません。出来上ったら書物にするつもりですけれども、書いているうちにも、一日一日と日がたってゆくし、そしてわたしは生きてゆくし、書くことがたまりますから、いつ出来上ることやら、見当がつきません。」
そういう風に言いますと、明日という日が無くならない限り、いつまでも出来上らないに違いありません。けれど、美津子さんはまた別なことを言い出しました。
「ねえ、おばさん、人間の記憶というものは、ばったりといつ無くなるか分りませんよ。中途で断ち切れてしまうことがありますよ。わたしはそれが恐ろしいんです。だから、記憶のあるうちに、書き留めておくことが大切です。おばさんも、今のうちに、生い立ちの記を書いておかれた方が宜しいですよ。花子さんにも、その外のひとにも、話して聞かせたいようなことが、たくさんおありでしょう。それも、記憶が消え失せてからでは、もう駄目じゃありませんか。だから、今のうちに書き留めておいてごらんなさい。是非、生い立ちの記をお書きなさらなければいけません。」
そのようなことを饒舌り立てて、美津子さんはぷいと二階へ行ってしまいました。母は煙に巻かれたようで、わたくしの顔を眺めました。
「わたしにはよく分らないけれど、どういうことでしょうかねえ。」
もとより、年若いわたくしには、分りようはありませんでした。ただ、なんだかおかしな話だと思われただけでした。
でも、美津子さんは「生い立ちの記」のことを忘れないでいると見えて、時々、母へ向って、書いていますかと尋ねました。母が首を振って微笑しますと、お書きなさいと勧めて、二階へ上ってゆきました。御自身では、せっせと書き続けておられたのでしょう。
その原稿を、わたくしは一度も見たことがございません。人様のものは、たとえ葉書一枚でも、見てはならないと、そういう母のしつけだったのです。ですから、美津子さんの原稿などを盗み見ることは、わたくしには出来ません
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