る。あんたなら丁度いい。静かに連れてきて下さいよ。」
相手は白痴だ。その白痴の神経をいたわれというのか。しかし連れて帰ったあとはどうなんだ。嘉代さんは泣かないだろうか。泣いても……そうだ、家の中のことだ、世間ていなんかないわけだ。
おれ一人、思えば、みんなのだしに使われてるようだ。ばかばかしい限りだ。どうにでもなるがいい。こんなところに千代がいるものか。
おれは足を早めた。午前中の大気はすがすがしく穏やかだが、時をおいて、へんに強い風が流れる。もっと強く風が吹けば、空の薄らがすみも晴れ渡るだろう。
神社の境内はひっそりしていた。見渡しても千代はいない……。だが、彼方に、じっと佇んでるのが、やはり千代だった。
相変らず臙脂系統の衣類だが、いつものと違って、大きな御所車の模様が浮き出している。首が短くて髪はひっつめで、顔は一見して白痴の相だ。ぼんやりつっ立って上を仰いでいる。桜の花弁が一輪二輪、散ってるようだが、また、さーっと風が流れると、一面に、と思えるほどの花ふぶきになった。その花弁を、千代は袖に受けて、指先でかき集め、口に持っていってかじりはじめた。
おれの方が狂気の思い
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