加減に懐手をし乍らゆっくりと歩いている。葉子が何やら時々くすくすと笑っているらしい。彼はその影の無い痩せた姿を痛ましそうに見守っていた。
「あら兄さんが!」そう云った妹の声に彼は駭然とした。同時に叔父が黙って彼の方を見上げた。彼はしいて顔面の筋肉を弛《ゆる》めてこう云った。
「お眠りになれませんでしたか。」
「ああ何だかね……でも昼寝より歩いている方がいいようだ。」
「こちらへいらっしゃいませんか。」
「そう、君の書斎を拝見しようかね。」
「あたしも行ってよくって?」とその時葉子が大きい声をした。
「そうね、まあお前は来ない方がいいようだね。」
「意地わる根性!」と葉子は睨むような眼附をした。「いいわ、嫂《ねえ》さんに云いつけるから。」
 間もなく叔父はその高い姿を彼の書斎に現わした。彼は室の中に椅子を据えて其処に招《しょう》じた。何処か心の底に堅くなったもののあるのを自らにもおし隠すようにして。
「此の頃は何か研究でもやってるのか。」と叔父が云った。
「研究という程のこともないんですが、少しずつ書物を読んでいます。」
 叔父は書棚にぎっしりつまった洋書や和書を見廻わして、それから壁に
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