はまた丁寧に手紙を巻き納めて、それから卓を離れてソファアの上に身を投げた。
 愛妻を失って憂愁の生活をしている痩せた叔父の姿が彼の頭に映った。それからたえ[#「たえ」に傍点]子を恋した叔父、彼とたえ[#「たえ」に傍点]子との恋を聞いて二人の間を纒めてくれた叔父、間もなく自ら京都に職を求めて去った叔父、好める植物の研究に余暇を捧げて、老婢と佗びしい暮しをしている叔父、――過ぎ去った二年の歳月が、彼の前にそういう別々の叔父の姿を幾つも見せてくれた。遠い絵巻物をでも見るような落ち着いた心地で彼はそれを見た。然し今、書信の往復も間遠になった折のこの突然の来意の手紙が、彼の心に妙な悲壮な気の暗示を与えた。叔父はまだたえ[#「たえ」に傍点]子の姿を心の奥に秘めているのではないだろうか、と彼は思った。
 然し彼が見たのは何故? との問題ではなかった。どうにかしなければならない、とそう思った。そして彼の前に広い空間が拡がった。その中に叔父が居る、彼自身が居る、そして妻のたえ[#「たえ」に傍点]子が居る。
 彼は立ち上って、手紙を持ったまま妻の室に行った。彼女は手娯《てなぐさ》みの刺繍をやっていた。夫の姿を見てその顔を見守った。その眼が「何か御用?」とこう云った。
 彼は妻の傍に坐って黙って手紙を差出した。
「これを読んでごらん。」
 彼女は手紙を受け取って裏を返してみた時、顔を上げて彼の眼をじっと見た。それから事もなげに中を披いて読み下した。
「ほんとでしょうか。」と彼女は云った。
「だって昨日の夕日は綺麗だったじゃないか。」
「では今日被入るのね。」
「ああもうすぐ御出でになるかも知れないよ。」
「そうね。」
 彼は妻の顔を見つめてやった。何だか自分と関係もない他処《よそ》の女を見ているような気がした。お前は誰だときいてみたいようにも思った。そしてこう云った。
「叔父さんからお前の処へ別に手紙はなかったかい。」
「いいえ何にも。」
 その時彼は過去のことを思い出した。まだ彼とたえ[#「たえ」に傍点]子との間を知らなかった時、叔父はたえ[#「たえ」に傍点]子へ二つの手紙を書いた。その後で二人の間を纒めてやった時、彼女からその手紙を返して貰って、それを彼の前に差出した。「君が見てもいいんだ。」と叔父は云った。然し彼はそれを披《ひら》かないで、二人して灰にしてしまった。彼は前にたえ[#
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