りませぬ。頭が痛うございます。胸がくるしゅうございます。
この前、失礼なお手紙書きました。それがお気に障って、もうお手紙下さらないのでございましょうか。私はどうしたらよろしゅうございましょう。この手紙に御返事下さいませ。どのようなお手紙でもかまいませぬ。
私は先生をお想い申上げてはいけないのでございましょうか。悲しみに泣くことさえ滑稽なのでございましょうか。何もかもわかりませぬ。苦しくて切なくてたまりませぬ。この世が糠のように味気のうございます。
――――
私は世俗の生々しさを、そのまま心と体に受入れる力がございませぬ。きりかかすみのようにはかないもの、なんだか自分がそのようなものの気のされる時がございます。
現世以外の或る無形なものの中に、そっと住んでいたい気が致されます。
恐ろしく淋しく苦しくてたまりませぬ。
[#ここから2字下げ]
ささがにのくものいゆれて絶えむとす
ゆめもうつつも消ゆるべらなり
[#ここで字下げ終わり]
――――
私は、これから御本を少し読みたく思います。けれど、どんな風に読んでよいのか少しもわかりませぬ。素読にするだけで、何にも感じとることが出来なくては、読まない方がよろしいのでございましょう。文学というものはどのように鑑賞するものなのでございましょう。先生どうか教えて下さいませ。
――――
私はたいへんみすぼらしくなりました。これはもう昨年からわかっていたことでございました。いろいろ工作しよう思いましたけれど、女ひとりで諸事思うに任せず、とうとう情けないことになりました。私の僅かな田が、不在地主とかで、こんど政府に買いあげられて、小作人の手に渡ってしまいます。私は腹が立ってたまりませぬ。一町歩以下ぐらいの僅少なものは、持たしていてくれてもよろしゅうございましょうに。
私はお金が沢山ほしゅうございます。けれどそれはどうして得られるものか私にはわかりませぬ。貧乏は苦しくていやでたまりませぬ。私はお金がほしゅうございます。悠々と暮らせるようなお金がほしゅうございます。いつも情けないみすぼらしさがいやでたまりませぬ。
先生、この手紙でもうお手紙下さらなくなるのでございましたら、お願いでございます。そのことを一言だけ仰言って下さいませ。
先生をお失いするのは、堪えられませぬ、堪えられませぬ。
どうか、田など無くなってもよいではないかと仰言って下さいませ。そしてこれからもおやさしいお手紙書いて下さいませ。
――――
先生は私にもうどんなにか愛想をおつかしでいられましょう。私のような下らぬ者が、一寸の間でも先生にお手紙差上げることが出来ましたのは、神様が、私の思いつめた心のために、瞬時先生の幻を私に見せて下さいましたのでございましょう。淋しく悲しい気が致します。
今夜は雨と風の不気味な夜でございます。少しも眠くありませぬ。
先生、お願いでございます。も一度私にお手紙下さいませ。最後のことのはっきりわかるお手紙、も一度お書き遊ばして下さいませ。
――――
先生、御仕事がおすみになりましたこと、私もたいへんうれしく存じます。どんなにお立派なものがお出来になりましたことでございましょう。先生がお立派なものをお書き下さいますことが、私は、一番うれしゅうございます。私のような者が下らぬお手紙ばかり差上げますこと、どんなにか先生のお気持を乱し御迷惑をおかけ致しておることでございましょう。私の我儘おゆるし下さいませ。
先生にいつか、私のような者のところへでも、いらして頂けます時がございましょうか。そんなことは夢にもないものなのでございましょうか。私のことを田舎に住んでいる下女とお思い遊ばして、勝手気儘にお振舞い下さいましたなら、どんなにうれしいことでございましょう。
先日、お米と煙草、少しお送り致しました。田舎には何もございませぬ。お許し下さいませ。
――――
一昨日姫路へ行きましたちょっとの留守に泥棒にはいられて、着物をすっかり取られてしまいました。生きた心地もなく、もう死んでしまおうと思います。考えていると、胸が痛くて御飯もたべる気が致しませぬ。
たまらなく淋しく悲しくなります。私が死んで、もし何か残るものがありましたら、それを先生にお貰い申して頂きましたら、どんなにうれしいことだろうかと思われますけれど、これはほんとうに失礼な申し分でございましょう。
どうか私に先生のことをお想いすること許して下さいませ。それだけが私の心に仕合せな夢見心地を与えます。
――――
私はたまらなくて、またお手紙致します。先生は、私がいやになったということさえ、もう仰言っては下さらないのでございましょうか。お願いでございます。そのこと一言仰言って下さいませ。早く早く、一刻も早く、それをきか
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング