をどうかおさげすみ下さいませ。
  吉岡先生様[#地から1字上げ]紀美子

 御手紙有難うございました。
 先生はお酒をあまり沢山おあがり遊ばさないで下さいませ。きっと御体に毒でございますもの。なんだか心配でたまりませぬ。
 私は先生にお手紙が書きたくて書きたくて幾度も幾度も書きかけました。けれど、自分のことが恥かしくて、何にも申上げる勇気がなくて、せかれた水が渦を巻くように、胸がくるしく悶えておりました。
 私は先生の御事を思い申上げている時が、一番うれしゅうございます。
 あとは情けないことばかりでございます。
 私の家は、六十坪余りあるのでございましょう。古くてみっともなくて、それを半分ほど使っておりました。すると、このあいだ地震があって、その使わぬところの屋根の瓦が、三百枚ほどすべって落ちました。私はその時それを知りませんでした。音もなにも聞えなかったのでございますもの。私は生活の能力が何もないのに、つまらぬことばかり思ったり考えたりするバカなので、きっと罰があたったのでございましょう。ほんとうに私のようなことでは仕方ございませぬ。も少し生活の基礎をしっかり立てなければなりませぬ。これからは元気を出して、何でも自分のことは自分でしようと思います。けれど、やっぱりぼんやりしたり、果知れぬ淋しさに襲われたり致します。冷たい寒い淋しい風が胸を吹き通ります。それが堪えられませぬ。
 私は先生のお夢をよくみます。けれど、なぜかお顔がはっきりわかりませぬ。
 先生がもし、どんなところでもかまわぬといって、私のような者のところへでもお出で下さるようなことが、夢にでもございましたら、私はどんなにうれしいことでございましょう。けれど、そんなこと思うのさえ、きっと罰があたりますでしょう。
 下らぬことばかり申上げました。お許し下さいませ。私は先生をお失いしはしないかとそればかりが恐ろしゅうございます。その恐ろしさを、私はいつ胸に深く感じなければならないのでございましょうか。
 いろいろ失礼なことばかり申上げました。お許し下さいませ。
  吉岡先生様[#地から1字上げ]紀美子

 吉岡は十日間ばかり山の湖水へ遊びに行った。紀美子のところへは、自身で訪れる代りに手紙を書いた。心は紀美子の方へ強く引き寄せられながら、体は立ち止ったのである。彼女の極度な自己卑下には、なにか人を阻むものがあった。
 紀美子の境涯も、次第にはっきりしてきたし、その人柄も特別なものではなさそうだった。ひどく内気で、羞恥心が強く、生活力が弱く、一人きりの孤独な暮しをしている人だと、そんなふうに想像された。教養もあるらしい。手紙の文字も美しかったが、だいたい、美しい字を書く女には顔のまずいのが多く、まずい字を書く女には顔の美しいのが多いので、その通例からすれば、彼女の容貌はまあ美しい方ではなさそうだった。そうではあるが、不思議にも、吉岡は彼女に心惹かれ、彼女のことをいつも想うようになった。他方、彼女の自己卑下は執拗で、感傷癖とも思えずいささか煩わしくさえあって、吉岡も眉をひそめた。そのことが謂わば吉岡を両断して、肉体的には近寄れない思いをさせ、感情的にはぐいぐい引き寄せられた。
 この気持ちは、吉岡には初めてのことだった。彼女の手紙のような調子の手紙を受け取るのも初めてのことだった。嘗て知らない魅惑を受けた。うらぶれた気持ちに沈んでいた彼が、未知の紀美子に愛情を懐いたのである。
 紀美子からはしばしば手紙が来た。それらを一々茲に持ち出すのは大変だから、特色ある文句だけを拾ってみよう。

 御旅行先から頂きました御手紙、ゆめのようにうれしくて泣きました。ぼんやり野面を眺めながら、このまま霧のように消えてしまいたいと思いました。
 ――――
 けさはずいぶん早く目がさめて、夜が明けるまでじっと雨の音をきいておりました。とりとめもないこと考えていましたら、また自分のことがわけがわからなくなって、悲しさで胸が一杯になりました。
 ――――
 私はこのあいだから、ちょっとお琴のお師匠さんになりました。
 ある人が、お琴や三味線でも教えたら、少しは気も晴れようと言って、お弟子を五人作ってくれました。何だかきまりわるい変な気が致します。
 それから、梨を一箱、運送店からお送り申上げました。十四五日もかかるとのこと、そして完全に着くとは受合いかねると、頼りないこと申しました。私は悲しくなりました。
 ――――
 先生はどのようなお正月をお送り遊ばしましたことでございましょう。私のお正月はつまりませぬ。どこへも出掛ける気がせず、ぼんやり物思いに沈んでおりました。
 先生のお手紙が今日もまいりませぬ。苦しく切なくてたまりませぬ。私はどうしてよいのかわかりませぬ。自分のことも何もかもわけがわか
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