たせられた。文学者に対して女性が往々にして懐く愛情などというものは、好奇心の一種に似たもので、大して珍重すべきものではないと、吉岡は過去の経験から知っていた。然し紀美子の自己卑下は特殊なものだった。いったいどういう人だろうか、不具廃疾者だろうか、余りに純粋無垢なのだろうか、などと、吉岡はいつしか彼女のことを思い耽るようになった。思い耽ると、彼女はすぐ近くに在ったがその姿は捉えようがなかった。
 吉岡の心は、知らず識らず彼女の方へ引き寄せられた。

 御手紙有難う存じました。
 私は先生にお手紙など差上げる今の自分を夢のように感じます。
 私は先生をこの世で一番おえらい方と、ずっと思い続けてまいりました。けれど、先生からお手紙など頂ける身になろうとは、夢にも思ったことがございましょうか。私はもうこのまま死んでも、充分本望でございました。この世に生れて来た甲斐のあった自分を、しみじみ感じました。それが、それが、今は、自分自身の身を先生の前に恥じようと致しております。私は自分のみすぼらしさを、先生の御前に限りなく恥ずかしく存じます。
 虫のようにみすぼらしく愚かしい自分の内容を、どうして先生に申上げる勇気がございましょう。けれど、けれど、私はもうどうなってもよろしゅうございます。恥と共に地獄の底に落ち込んでも致し方ございませぬ。どうぞ私をおさげすみ下さいませ。
 私はもう七八年前、現在の家へひとりぽっちで逃げてまいりました。私は結婚に失敗致しました。
 失意と絶望のただ中で、限りなく我身に悲痛な涙を注ぎました。
 何もかも、それは不当であり、不正でございました。私は人生に対して底知れぬ恐怖を感じると共に、一切の人生に見切りをつけてしまいました。何もかも、さげすむべき愚劣さではないか。
 死の幻影が、それから私をすっかり包み込んでしまいました。
 私はその中にあって、少しの衝撃にも飛び上って死ぬる身構えを致しました。心はもうめちゃめちゃでございました。体ももうめちゃめちゃでございました。自分の人生はもうすっかり終ったのだと思いました。
 ひとりになって死んでしまおう、下らぬものに犯されることのないひとりになって。私は堪え難い生の苦痛をにない、夢中でこの家にのがれてまいりました。
 もうどんなことがあっても、ここから一歩も外へは出ないし、もうどうなってもよい。――それから、無
前へ 次へ
全12ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング