き叫んだ。彼は云い知れない漠とした苦悩と哀愁とを感じた……。温かい涙は頬を伝わって流れた。全世界に拡がっている人間の不徳、虚偽、罪悪に対して、彼は憎悪を感ずることもあった……。様々な思想が心に燃え起って、頭の中を波のようにうねりまわった。それらの思想は、彼の全身の血を湧きたたせる決断に変ってゆく。彼の筋肉は動きそうになって、緊張し、今や意図が決断に移ってゆこうとする……。彼はある精神力に動かされて、寝台の中で身体の位置を幾度も変える。眼を据えて、半身を起し、手を動かし、感激した眼であたりを見廻す。感激はそのまま眼前に実現されて、今にも英雄的なある行動に変りそうに思われる……。しかし、朝が過ぎ、夕暮の影が寄せてくると、オブローモフの力は次第に弛んでくる。霊魂の嵐は鎮まってしまう……。血潮は血管の中をゆるりゆるりと流れる。オブローモフは静に寝返りをして仰向になる……。隣家のかげに沈んでゆく華やかな夕陽の影を痛ましげに見送る。――こうして彼は幾度、沈みゆく落日の影をその眼で見送ったことであろう!」
こうして彼は、農民の状態を改善せんとの意図も、オルガとの恋愛も、凡てを懶く見送ってしまう。
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