女の顔にはありありと恐怖の色が浮んだ。それが私を更に駆り立ててきた。
「お前は前から河野さんとは親しくしていたろう。恥しい思いをしたことはないのか。」
 云ってしまってから私はぎくりとした。余りに忌わしい調子だった。もっともっと落着いて……そう思って云い直そうとしたが、もう遅かった。彼女はまるで死人のような顔色になった。顔色ばかりではなく、眼も頬も口も冷たくこちこちになってしまった。
「浅間しいとも何とも、あなたは!」
「いや僕はただ……。」
「聞きたくありません!」ぷつりと云い切ってから、暫くすると、こんどはひどく激昂してきた。「あなたは自分がそうだから私までもそんな女だと思っていらっしゃるのですか。あなたがそのつもりなら、私だってそうなってみせます。それこそ油断をして、性慾を軽茂して、世の中を甘く見て、河野さんを立派に誘惑してみせますわ。それがあなたのお望みなんでしょう。あなたは自分が疚しいものだから、私にもけちをつけたいんでしょう。」
「お前はそんなめちゃなことを云って、自分で恥しくないのか。」
「あなたこそめちゃなことを仰言るんです。」
 会話はそんな風に実際めちゃになっていっ
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