のらくらと時を過しているうちに、心も身体もだらけきって、そしてこんどの出来事で一度に圧倒されてしまった……そういう自分自身の空虚な生活が――恰も受精しない果実が早熟して自らの重みで地に落ちたような生活が、堪らなく淋しく感じられて来た。而も事件は――妻や松本や光子や河野さんなどと四方に糸を引いている関係は、益々こんぐらかってゆくばかりで、そして私に屈辱を重ねさすばかりで、どう解決がつくのか見当さえつかなかった。それをぶつりと断ち切るような気持で、河野さんと決闘しようなどと考えたが、実際はその方へ一歩も踏み出してはいなかった。あれやこれやを考えて、いっそ決闘で殺されてしまったら……なんかと想像してみたりした。そしてそれが馬鹿馬鹿しくなると、またいつしかぼんやり雨音に聞き入っていた。
そこへ女中がやって来て、松本さんをこちらへお通ししてもよいかと云った。私は驚いて眼を見張った。
「え、松本君が? 今来てるのか。」
「先程からいらして、奥様とお話していらっしゃいます。」
私はまた喫驚した。いつも階下《した》に誰か来た時は、何かの気配を感じないことはなかったのに、その時ばかりは少しも感じなかった。私は心にぎくりとしながら、通してくれと女中に云って居住いを直した。
やがてやって来た松本は、私に或る印象を与えた。頬がひどくこけたせいか鼻がつんと高く額が白々と秀でて、眼には澄んだ奥深い光を湛えていたが、唇の薄い口元には毒々しい軽侮の影を漂わしていて、その二つが変に不調和な対照をなしていた。彼は私の前方にぴたりと坐って、私の方を見ないで云った。
「奥さんにだけお逢いしてゆくつもりでしたが、あなたにもお目にかけておく方がよいと思って、持って来ました。光子からの手紙です。」
私は無言のまま、差出された手紙を取って読んだ。一枚のペーパーに万年筆で細かく書かれたものだった。
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松本さん、何もかも許して下さいまし、ほんとに何もかも。私はあなたがお許し下さることは存じておりますが、やはりこうお願いしずにはいられませんの。
私はあの時二度とも、次の室からすっかり聞いておりました。あなたが一日考えてからと仰言ってお帰りなすったその一日が、私にはどんなに苦しかったか分りませんわ。そして次の朝いらして、やはり私は光子と結婚したいと仰言った時、私はぞっと震え上って逃げ出しま
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