或る素描
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)撞棒《キュー》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]
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長谷部といえば、私達の間には有名な男だった。
或る時、昼食後の休憩の間に、一時までという約束で同僚を誘って、会社と同じビルディングの中にある、撞球場に出かけた。そしていつまでも撞棒《キュー》を離さなかった。同僚は一時になると先へ引上げてきたが、彼は三時を打って暫くしてから、呑気そうに煙草を吹かしながら戻ってきた。月末のことで、会社の事務は繁忙を極めていた。彼は専務から呼びつけられて、ひどく叱責された。後で給仕から聞いたところによると、彼はその時、如何にも神妙にかしこまって黙って首を垂れたまま、後悔の念と良心の苛責とを深く感じてるもののようだったので、専務も遂に苦笑しながら彼を許してやったそうである。
ところが、その日会社の帰りに、球を撞いた同僚と電車停留場まで歩きながら、彼はこんなことを云った。
「うむ、叱られはしたがね、僕は弁解なんか少しもしなかった。あべこべに向うをやっつけてやったよ。だって君、責任を知らないかって僕に向って云うんだろう。癪に障ったから、責任は立派に知っていますと答えてやった。一時から三時半まで会社の仕事をなまけたとしますと、その二時間半だけ、私は余分に事務を取っていっても宜しいんです、それでもなお事務が残ってるようでしたら、夜中まで居残ってもいいんですし、ビルディングが閉るなら、泊っていってもかまいません……とそんなことを云うと、専務は全く困ったような風をしていたよ。そこで僕はなお進んで、執務時間の改革案なるものを持ち出してやった。一定の時間だけ出勤すれば、それで仕事の能率が上ると思うのは間違いだ。社員はいつでも自分の好きな時に事務を執るようにして、嫌な時には何でも他のことをして遊ぶ、随って、早朝から夜中までの間に勝手な時幾時間勤むればよいと、そういう風になれば最も理想的だ、相互の事務の連絡は書面やなんかでつけることが出来るだろう……とね。」
「そんなことを云って、なおひどく小言をくやしなかったか。」
「いや……実は口に出して云ったわけじゃない。あの専務には物が分らないから、僕は黙っていてやったが、もし物の分る専務だったら、そして僕がそんな風に話をしたら、さぞ面白いだろうと、想像のうちで楽しんだのさ。叱られたお影で一寸面白い夢をみることが出来たのだ。」
「なあんだ、つまらない。」
同僚に一笑されて、長谷部はそれが腑に落ちない顔付をした。
そのことがやがて、退屈な会社の中では、噂話の一つとなった。
然し、考えてみると、もし会社の執務時間を長谷部が云う通りにしたら、それを最もよく利用するのは、恐らく利用しすぎて自分でも困るのは、長谷部自身だったろう。
次のような話がある。
それは彼が或る学校に勤めてる時のことだった。彼は会社を止して、ひどく食うに困って、先輩の世話で学校教師になったのだった。会社員は彼の柄でなかった……が、教師もまた彼の柄ではなかった。彼は教師中で一番欠勤が多かった。
学期末の試験が済むと、各科目の担任教師は、一定の期日までに採点して報告しなければならなかった。期日を一日でも後らせば、成績発表に支障を来すのだった。
長谷部は試験の答案を見るのがひどく嫌だった。いつも後れがちになった。学校からは催促が来た。で彼は愈々となった或る日、二百枚に近い答案を一日のうちに見てしまわなければならなかった。今日は誰が来ても不在だ、とそう家の人に頼んだ。
七月の中ばのことで、晴れやかな日の光が縁先に落ちていた。その光の中に、赤い蟻が二三匹這い廻っていた。彼はそれにふと眼を止めて、蠅を叩き落してきて、蟻にやった。蟻は自分の身体の何十倍も大きい蠅を、三足四足引きずったが、引ききれなくなると、一寸その側を離れ、またすぐに戻ってきて、暫く嗅廻る風をして、こんどは一散に遠くへ走っていった。やがて、一群の蟻が、大きいのを所々に交えて、蠅の方へやって来て、まわりにたかるが早いか、ぐいぐい引張っていった。
彼は立上って、更に幾匹もの蠅を叩き落してきて、蟻にやった。蟻の数は益々ふえてきた。一つの穴だけでなく、方々の穴から出て来た。そこらが真赤になるほどだった。小蟻が主として運搬にかかった。大蟻はそれを指揮するかのように、或はもっと餌物を探すかのように、あたりを駆け廻った。右と左とに引張り合ってるのがあると、大蟻が一寸加勢して、すぐに味方の方へ勝目を与えた。
蠅は次から次へと引張ってゆかれた。しまいに彼は、半ば生きてる蠅を与えて、羽をぶんぶんさせながら間もなく蟻の群に征服されるのを、面白そうに見ていた。終りには、大きな砂糖の塊《かたまり》を其処に置いて、蟻が吸いついたり、食いもぎって持っていったりするのを、縁側に腹匐いになって眺め初めた。
そんなことで、午前中は早くも過ぎてしまった。午後になると、彼は砂糖がまだ残ってるのを覗いてみて、更めて残酷な遊びを初めた。庭の隅の萩の若芽から油虫を取ってきて、それを蟻に与えた。裏口の土の中から蚯蚓を探し出してきて、それを蟻に与えた。大きくて蟻が引ききれないような蚯蚓は、棒の先で二つか三つかにぶっ切って、苦しみ※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]いてるのをそのまま与えた。その他いろんな虫を与えてみた。毛虫には、二つに切った傷口にでなければ、蟻は食いつけなかった。蛞蝓《なめくじ》には、決して蟻は寄りつかなかった。
七月の太陽がぎらぎら照りつけてる中で、彼は額に汗をにじませながら、誰が何と云っても耳を貸さないで、生きた虫類が蟻に取巻かれてのたうち廻ってる、その不気味な光景に夢中になって、夕方まで過してしまった。日が陰ってきても、頭のしんがくらくらしていた。
夜になって、彼は初めて我に返ったように、試験答案の調べにかかった。煙草をやたらに吹かし、時々重苦しい溜息を吐き、一晩中一睡もしないで、朝の七時頃までに二百枚余の採点を終った。
「僕はなまけ者だけれど、責任を果すことは知っている。」
蟻の話を彼の母親が私に訴えた時、彼は昂然とそう云ったのだった。
だが、蟻と虫との闘を一日中眺め耽って、何の足しになるか、またどこが面白いか、それについては彼は何にも云わなかった。恐らく彼自身にも分ってはいなかったろう。
そして単に蟻ばかりではなく、つまらないことに長谷部は夢中になる癖があった。
彼の母親が肺炎を病んで、だいぶ悪いということだったから、私は或る時見舞にいってみた。
三月の末の午後二時頃のことだった。春陽《はるび》がうららかに射してはいたけれど、まだ大気が冷くて木の芽もふくらんでいなかった。それなのに、肺炎だという彼の母親は、障子を開け放した室に寝ていて、彼は縁先の庭に跣足でつっ立っていた。
「やあ、今すぐだから、一寸待っててくれ給え。」
そして彼は、恐らく午前中から初めたらしい庭弄りを、不器用な手先でまたやり出した。私は障子を閉め切り、火鉢に炭をついで湯気を立たせ、母親と少しばかり話をし、それから寝転んで、新聞や雑誌をくり拡げ、時々障子の腰硝子から彼の方を覗いてみた。
庭といっても、七八坪の狭いものだったが、植込や配石など相当に拵えられていた。それを彼は、跣足になり裾をからげ、シャベルや鍬や鋏を持ち出して、やたらにかき廻していた。大きな石を据え直したり、木を植え直したり、それをまた何度もやり直したり、石のまわりの竜髭《りゅうのひげ》を取除いてみたり、再び植えつけてみたり、それから庭の隅に穴を掘って、その土で或る部分に土盛りをし、足で丹念に踏み固めたりして、今すぐだというその仕事が、永遠に終りそうもなかった。
仕事の合間には一寸縁側に腰を下して来て、泥の手で煙草を吸いながら、室の中に声をかけた。
「どうです、気分は……。障子を開けましょうか。」
私は喫驚して、肺炎だというのに障子を開けちゃいけないと云った。然し彼は、一寸なんだからと弁解して、障子を少し引開けて、うとうとした眼を見開いてる母親の顔を眺めてから、また庭の仕事の方へ行った。その後で私は、腰を伸して障子に手をかけた。
「まだ陽気がさほどでもありませんから閉め切った方が宜しかありませんか。」
「ええ……。」
母親は曖昧な返辞をして、人の善い微笑を浮べた。私は構わず障子を閉めきった。
そんなことが二三度くり返された。そして何時間かの後、もう日脚が隣家の屋根に遮られてしまった頃、彼は漸く足を洗って上ってきた。
「ああ疲れた。」
私は少し憤慨していた。いくら自分が庭で働いてるからって、肺炎の母親が寝てる室の障子を開け放す法はないと、そう思ったばかりでなく、実際口に出して彼をたしなめた。が彼は平然としていた。
「そりゃあそうだが……然し……もうよほどいいんだよ。ね、お母さん、いいんでしょう。今日は大変いいんですね。」
「ええ、お影さまで……。庭の仕事は、もう済みましたか。」
「済みました、すっかり。これでさっぱりした。」
そして彼等親子は、晴々とした眼付で微笑み合っていた。それから、そのままの笑顔で、私に向って云うのだった。
「思い立ったら、まるでもう赤ん坊のようでございましてね……。」
「いや、余り長く待たして済まなかったね。」
「なあに……。」
とただそれだけで、私は苦笑するより外、何と答えていいか分らなかった。彼が庭の中で夢中に土いじりをしている、病中の母親が寝ながらその方を眺めている、それが彼等二人にとっては何であるかを、私は初めて瞥見したような気がして、先刻の自分のおせっかいを苦々しく思い出した。
然し実は長谷部にとっては、母親のことなんかはどうでもよかったのかも知れない。他の場合には、全く母親のことなんか頭にないらしく、自分の出来心に夢中になっていた。
彼は何かしら一つのことに耽らずにはいられないらしかった。私が彼を知ってからも、彼は撞球に耽ったし、碁に耽ったし、テニスに耽った。郊外のテニスコートに、毎日のように通ったことがあった。そのための服装を拵えたり、ラケットを三本も買い込んだりした。そしてそういう金は、みな母親の乏しい小遣から融通された。彼は月給といっても僅かしか貰ってはいなかったし、財産があるわけでもなかった。それで一家の生活は、亡父の功労で政府から母親が貰ってる金で――それも僅少なものだったが――重に支えられていた。いつも貧乏だった。
彼が撞球に耽った頃は、最も母親は困難したらしかった。彼はどうしても、毎晩撞球場へ行かないでは落付けなかった。その上、行けば帰りは十二時過ぎることが多かった。母親は起きて待っていた。そのことで或る時二人は喧嘩をした。
「表の締りをしないで寝るのが、いくら不用心だからって、起きて待っていられると、落ちついて球も撞けないじゃありませんか。お母さんがいつまでも起きて待ってるというなら、僕だって意地です、いつまでも帰って来やしませんよ、夜が明けるまで帰って来ませんから……。」
そんなことがあって、それから後は、母親は先に寝てしまうことになった。表門に鍵をかって、中の格子と戸だけを引寄せておいた。彼はその表門を乗り起して[#「乗り起して」はママ]はいって来るのだ。
そして彼はいつも、睡眠不足の蒼黒い顔色をしていた。
ただ、彼のそうした耽溺は、時々対象が変っていった。碁に夢中になって、碁会所に入りびたってるかと思うと、何かのきっかけで行かなくなってしまった。そして友人と二人で、碁会所の前なんかを通りかかると、そちらをじろりと見やりながら、さも憤慨してるような調子で云い出した。
「碁会所に大勢人が居並んでるところを見ると、僕は変に憂欝になってくる。狭苦しいところに、何人もずらりと向き合って一日中坐り通して、白と黒との小さな石を掴
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