。和尚さんも其処に坐っていられた。私はただ急に気分が悪くなったことだけ答えた。
 暫くして心が少し静まると、私のうちには、自暴自棄な勇気がむらむらと湧いてきた。自分の運命と取組んでやれというような気がしてきた。私は俄に身を起して、もうすっかり直ったと云った。そして快活に話しだした。お母さんや和尚さんの驚きなんかには頓着しなかった。自分でも喫驚するほど元気に振舞った。そうしながらも、私は思慮をめぐらして、先刻のお坊さんのことを聞き糺した。すると、……私はほんとにどうかしていたのだ! そのお坊さんは、四五年も前からこのお寺に養子に来てる人で、和尚さんの後を継ぐべき人だったのである。そして非常に立派な人だとか。
 私は茫然としてしまった。けれどもまだすっかりは疑いがとけなかった。先刻の失礼をお詑びしたいと云って、お坊さんをまた呼んで貰った。そして、はいって来たお坊さんの顔を見ると、それは彼とは似寄りの点もない人だった。私は自分が自分でないような心地をしながら、家へ帰った。そして、それが初まりだった、私が彼の幻影にひどく苦しめられたのは!
 その晩、私は妙に息苦しい思いで眼を覚した。室の中に陰気な靄が立ち罩めていた。襖の彼方に、彼が立っていた。私の方をじっと見つめていた。私にはそれがはっきり分った。私は蒲団を頭から被ろうとした。けれども手足が鉄の鎖ででも縛られたように、身動きさえ出来なかった。……やがて彼はすーっと襖を開けて、室の中にはいって来た。そして私の方を鋭い眼で見つめながら、頭をこっくりこっくり動かして、私の寝てるまわりをぐるぐる歩き初めた。私は眼をつぶっても、その姿がはっきり見えた。息がつまってしまった。歯を喰いしばって身を※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]きながら、飛び起きてやった。……それがやはり夢だったのだ。彼の幻は消えて、室の中には五燭の電灯がぼんやりともっていた。私はぶるぶると震え上った。いきなり大きな声を立ててお母さんを呼んだ。お父さんもお母さんと一緒にやっていらした。私は大きな溜息をついて、蒲団の上に倒れてしまった。そういうことが三日置き位には起った。而も昼間になると妙にぼんやりして、凡てを忘れたような放心状態になった。
 やはり私にはそれが運命だったのだ。私はもうどうすることも出来なかった。昼と夜とが別々の世界になってしまった。昼間はま
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