の唯一の悪趣味だ。夫の武彦が教え込んだに相違ない。
「ばか野郎。」
おれは卵を掴んで、仏像に投げつけてやった。卵は壁にあたって砕け散った。また投げた。命中しない。また投げた。命中しない。めちゃくちゃに投げた。仏像も怒って、おれを睥みつける。おれは笑い出したが、憤怒は笑いと共に高まる。一升壜をひっ掴んで、つめ寄ってゆき、仏像の頭上に叩きつけてやった。
しいんとしている。水底の感じだ。物のけはいに振向くと、室の入口にさよ子が突っ立ている。おれはぞっとした。まるで幽霊だ。も一人の幽霊が、駆けこんで来た。女中だ。おれよりも力が強い。
瞬間に、おれは立ち直った。もう憤怒はない。憎悪もない。冷静な態度で、元の座に戻って、あぐらをかき、ジンのグラスを取り上げた。それをすすりながら、アスパラガスの缶詰を指差した。
「これを開けてくれ。」
誰も返事をしない。女中は屈みこんで、硝子の破片をゆっくりゆっくり拾っている。さよ子は縁側にうづくまり、障子に顔をかくし、ハンカチを眼に押しあてている。二人ともまるで狂人だ。おれは途方にくれて、怒鳴りつけた。
「返事をしないか。これを、これを開けるんだ。」
缶詰を畳の上に投り出してやった。気が狂うと人は唖になるものなのか。二人とも黙ったままだ。それでも立ってきて、アスパラガスとマヨネーズとを皿に盛ってくれる。おれはジンを飲もう……。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「群像」
1949(昭和24)年10月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年11月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング