立ってるものである。高笑いをして舌なめずりをしてる、労働者等の幅広い肩を、私は小突き廻してやりたかった。
 活動写真が済んでしまった頃とみえて、騒々しかった表の人通りが、いつしか静まり返っていった。私は急いで残りの酒と肴とを平らげて、ぷいと外に出た。蒸し蒸しするどんよりした晩だった。空もじっとりと汗ばんでるかと思われた。煤けたままを拭き込まれて黒光りのしてる大黒柱、そういった気持を私は力強く懐いて、狭いうねうねした路次の方へ滑り込んでいった。出口のない息苦しい生活にいじめつけられた私のうちにも、なお強烈な熱っぽい力が残っていた。私は見当り次第のとある家へ、こちらからはいるともなく誘い込まれるともなく、よろよろとした酔っ払いの足取りで、臆面もなくにゅーっとはいっていった。
「誰でもいいから一人来てくれ。」
 云いすてて私は二階の狭い室に通った。が実は、誰でもいいのではなかった。私が求めているのは、健かな豊満な、殴りつけてもびくともしないような、そして抱擁力の強い肉体をであった。然しまさか、肥っちょの大きいのをとは註文しかねた。運を天に任せる気で待っていると、否待つまでのことはなく、私のすぐ後からやって来たのは、要求とはまるで反対の、身長も身柄も貧弱な小女であった。栄養不良で発育不完全な、いじけきった者のように思われた。
「君は一体いくつになるんだい。」
 四角な薄汚い餉台の前に坐った女へ、私はそう尋ねかけてみた。
「十四よ。」
 黒いしみのある味噌歯を出して薄笑いをしながら、女は尻上りの調子で答えた。
「十四……それにしちゃあよく伸びたものだね。」
「何が?」
「僕はまた十七八くらいかと思った。」
「そう。」
 気乗りのしない返辞をして、彼女は私の方をじろじろと見ていた。私もその顔を見返してやった。下卑た凸額《おでこ》の下に、どんよりした眼が凹んでいたが、口許のあたりに、濡いのある初々しさが漂っていて、だらりと餉台の上に投げ出されてる、手首から指先の肉附など、十四歳と云うのも満更嘘ではなさそうだった。
「十四やそこいらで、どうしてこんな所へ出たんだい。」
「家が困ったからよ。」
「辛くはないかい。」
「そりゃあ辛いわよ、姉さん達が私に苦労かけないようにって、名指しでないお客には、いつも私を先に出してくれるけれど、それが却って私、嫌で嫌で仕様がないわ。いつも疲《くたぶ》れてるせいか、眠くって堪らないのよ。」
「おい、滅多なことを云うなよ。客の前でそんな口を利くってことがあるか。」
「あら、御免なさい。」
 眉根を挙げ眼をぱっちり見開いて、頸筋をしなやかに傾《かし》げながら、小娘にしては喫驚するような嬌態《しな》をしてみせた。
「こんな商売を初めてから、どれくらいになるんだい。」
「まだやっと二月《ふたつき》よ。」
「嘘だろう。十四というのは本当かも知れないが、二月というのは嘘だ。」
「いいえ、本当よ。」
 十四歳というのに、多少興味を覚え出して、いろいろへまなことを尋ねかけてきた私は、そこで妙に気持がはぐれて、そのまま口を噤んでしまった。彼女も黙っていた。暫くすると、彼女はわざと子供子供した甘ったれた調子で云い出した。
「私お腹が空いちゃったから、何か食べさして下さらないこと?」
「そんなら鮨でも取ったらいいだろう。ついでにお酒を一本添えて貰うといいな。」
 彼女は立上りかけたが、俄にまた腰を下した。
「あなた、今晩泊っていっていいんでしょう。」
「いけないよ。」
「なぜ?」
「帰らなけりゃならない。」
「そんなら、一時間……」と云いかけて彼女は一寸考え込んで、「二時間ばかりにしとくわ。ね、いいでしょう。」
 私がぼんやり見返した眼に、彼女は一寸笑みを含んだ眼付を投げつけておいて、大儀そうに階段を下りていった。
 私は一人つくねんと、二十分ばかりも――或はもっと短かかったかも知れないが――空の餉台と一緒に待たせられた。仰向けに寝転んで、煙草を吹かしながら、煤けた天井の、雨漏りの跡らしい汚点を見つめてるうちに、もうそのまま永久に身を動かしたくないような気持へ、底深く沈み込んでいった。何のためにこんな家へやって来たのか? もう先程の情慾も消え失せてしまって、都会の一隅の見馴れない室に、ぽつりと投り出された自分自身だった。やがて彼女が鮨の皿と銚子と豌豆豆の小皿とを運んできても、私はやはり寝そべったまま身を起そうともしなかった。酒が冷えてしまうと再三促されてから、漸く上半身を起した。
「怒ったの?」
 私は返辞をしなかった。
「どうしたのよ、黙りこくってて。何か怒ったの?」
「あんなに待たせられてさ、腹も立とうじゃないか。」
「ほんとに御免なさい。お誂えのものがなかなか来なかったんですもの。」
 そして私が杯を取上げると、彼女はそのお誂え
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