の目的地ででもあるように名指したのだった。その後で、其処へ行くという志がはっきりして来た。そんな場所へでも行って、人込の中に自分を溺らしてしまうのが、その時の私の気持にぴたりと合った。
二度乗換えをして向うに着くまで、私はもう何も考えまいとつとめた。電車を降りてからも、心当りの安価な飲食店の方へ、真直に歩いていった。そして、ぐらぐらする木の腰掛の上に腰を下して、労働者や貧乏くさい学生などの間に狭まって、一人でしきりに酒を飲んだ。もっと安価にもっと強烈なものを飲ましてくれる、カフェーの類はいくらもあったけれど、さすがにカフェーと名のつく所へははいれなかった。白い大理石やエプロンの女給などの空気よりも、薄暗い狭苦しい土間の方が、その時の私には親しみ深く思われたのである。
そして酒を飲みながら私は、贅沢じゃない、贅沢じゃない、とそんなことを心の中で繰返していた。贅沢や気紛れであって堪るものか。他人にとってはそう見えても、私にとっては真剣なのだ。而も私のそうした苦しみの底からの反抗が、殆んど常軌を逸した行為が、何を以て報いられたか。この都会は、私が投じた波紋を平然と呑み込んで、小揺ぎ一つしなかったのだ。私がたとい幾度石を投げ込もうと、あの硝子店はすぐ元通りの姿で輝き出すことだろう。そして私一人が恐れおののいて、下宿と横町とでしめくくられた同じ道筋を、競馬の馬のようにぐるぐると逃げ走ることだろう。何というちっぽけな惨めさだろう! 一層のこと、この身体もこの生活も、そっくり都会の中に呑み込まれて、その泥土の中に埋まってしまうがいい。
けれども、空っ腹に酒が廻るに従って、底濁りのしたうずうずしたものが、私の身内に頭をもたげてきた。今迄の鬱悶が多く精神的なものであるとするならば、此度のは多く肉体的なものだった。私はあたりの人々を見廻した。そして、底光りのする眼を輝かしてる労働者達の、どす黒い血潮を頭の中に映してみた。自然を奪われている彼等都会労働者等の生活が、如何に悲惨であるかを、私は自分がよく知ってる田舎の農夫生活と比較して、ほぼ想像することが出来た。またその悲惨な生活から醸される咽っぽい淫蕩な雰囲気をも、ほぼ想像することが出来た。人間は容易なことでは、何もかも萎びきるものではない。何かしら獣的な溌溂とした力強いものが、たとい不健全ではあっても頑丈なものが、何処かしらに湧き
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