逢魔の刻
豊島与志雄

 昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。必ずしも真夜中丑満の頃ばかりでなく、白昼かっと日が照ってる時、眼に見えぬ影――魔気――が街路を通っていったり、薄暗がりの夕方、魔物が厠に潜んでいたりした。
 現在、吾々の生活にも――特に精神生活には、そういう逢魔の刻がいろいろある。「こんなことをして一体に何になるか。」というのがそれだ。物を書いたり、金儲けをもくろんだり、女と戯れたり、人類とか社会とかを考えたり、鍬を執ったり、ハンマーを振上げたり、とにかくいろんなことをしてる最中、ふと、「何になるか」というやつに出逢ったが最後、吾々の精神は白け渡って、溌剌たる生活力は萎微してしまう。
 其奴は、真理の面と詭弁の面とを二重に被ってる恐るべき魔物だ。
 この夏、或る日の午後私は、浅間山麓を迂廻してる草津旧街道の、小さな一軒の茶店に立寄った。電車や自動車が発達してからは、その旧街道を徒歩で辿るような閑な旅客は殆んどなく、野中に孤立してるその茶店に足を止めて、渋茶をすするような好奇な者はめったにない、というような慨歎を、茶店の主人は朴訥なお愛想の調子で私に話すのだった。
「おっ
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング