ない者がある。ヤミヤだ。ヤミヤのそれに比ぶれば、俺のパイプなど、象牙ではあるが至って小型で、古くて黄色い艶が出てる代りに、吸口は歯で磨滅している。それでもまあ、ヤミヤ仲間には伍せないとしても、カツギヤの端っくれにははいり得ようか。
 こんなことを俺に考えさしたのは、カツギヤの女の一人から、パイプを通すヘヤーピンを貰ったからであろうか。とにかく、それは、彼等仲間の仁義の一つに接したかのように、俺の心を朗かにし、そのカツギヤ宿に落着かせてくれた。
 もう出かける客が多く、宿屋の中は次第にひっそりとなってくる。
 俺は廊下に出て、また女中をつかまえた。
「姐さん、すまないが、酒を少々頼むよ。」
「お酒……あったかしら。」
「あるとも。分ってるよ。お客用のじゃない、内所で使うやつさ。肴はどうでもいいから、急いで頼むよ。」
「それじゃあ、少しね。それから、味噌汁も吸ったがいいよ。」
 待つというほどもなく、いつのまにお燗をしたのか、女中はお盆をかかえて来た。大きな銚子二本、小鯵の干物数匹、たくあん。それと、普通の味噌椀の三杯ほどもはいりそうな大きな鉢に、味噌汁がたっぷりつけてある。
「あら、このお嬢さん、寝坊だね。」
 女中は雨戸を半分ほど開け、俺の布団を片付けて、出て行った。
「お嬢さん」が起き上った。
 俺はその方に、真正面に向くわけにもゆかず、尻を向けるわけにもゆかず、結局横向きに坐って、酒を飲みはじめた。
 娘は洗面所に立ってゆき、戻ってくると、柱鏡を見ながら、髪をなでつけ頬をパフでたたき、布団をたたみ、雨戸をすっかり開き、お辞儀のようなまねをして言った。
「お早うございます。」
「お早う。」と俺もはじめて言葉をかけた。
 娘はどう見てもカツギヤではなかった。背は低く、肥った丸っこい体で、顔も丸く、丸い眼をして、にこりともしないで、俺の方を見てるのだ。俺の方で少し極りわるくなって、照れかくしに言った。
「御飯は出来ないようですが、味噌汁でも吸いませんか。わりにうまいですよ。」
 娘は頷いて、ボストンバッグの中をかきまわし、自分で立っていった。
 やがて、女中が運んできたお盆には、味噌汁の大きな鉢と、たくあんと、小さな缶詰がのっていた。俺の方では、酒をも一本たのんだ。
 娘は俺の方へ、缶詰をそっと差出した。
「これを、お酒の肴にあがって下さい。昨晩のお礼ですから……。」
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