O駅に降りたのが午前四時半。岩木の家までは可なり遠いことが分っていたし、細君がなんだか病身らしい様子だし、訪問に適当な時間になるまで駅内で過すつもりでいた。ところが、十一月末のこととて、午前四時半はまだ深夜で、薄着の身はぞくぞくと冷えこむ。俺はスーツケースをぶらさげて、さまよい出た。
時間から推して意外にも、明るい賑かな街路がある。空襲の焼跡に出来たらしい狭い街路で、ちゃちなバラックの軒並だが、おでん、うどん、すいとん、みつまめ、コーヒー、煮物など、各種の飲食物の小店に、ガチャンコの遊び場まで交っていて、まばらな人影が動いている。少しく行くと、宿屋の看板があって、表戸は開け放しで、帳場の中も明るい。
汽車の疲れと睡眠不足とのため、俺はただ茫然として、それらの光景の中を泳いで行った。そして宿屋の帳場の前に立った。
「頼みます。誰かいませんか。」
帳場の小障子が開いて、年増の女中が顔を出した。
「願います。寒くて眠くて、どうにもならん。」
「もうだめですよ。室がいっぱいで。じきに夜が明けますよ。」
「だから、ちょっとの間でいいんです。そこの、帳場の隅っこでもいいから、休まして下さい。贅沢は言いません。」
俺は玄関にスーツケースを置き、腰もおろした。
暫く間をおいて、女中は言った。
「仕様のない人だ。じゃあ、わたしがもう起きるから、ここに寝なさい。」
女中の寝床に寝かすのかと思うと、そうではなく、押入れの中の布団と取りかえてくれた。
その時、俺のすぐ後からはいって来て、俺たちの問答を聞いていたらしい、モンペ姿の若い女が、低い声で女中に言った。
「わたくしもお願いします。」
「仕様がないねえ。じゃあ、いっしょに寝るか。」
俺といっしょに寝かすのかと思うと、そうではなかった。
「おかみさん、もう起きなさいよ。」
長火鉢の向う側から、小柄な中年の女がむくむくと起き上った。
「さあ、お嬢さんはこっちだ。」
俺は洋服のまま布団にはいった。
いつでもどこででも眠れるのが、俺の特技だ。その上、ほっとした安心感もあった。すぐに眠った。
僅かの間だったようだ。俺たちはさっきの女中に起された。
「さあさあ、旦那さんとお嬢さんは、あっちの室だ。」
両側に室が並んでいる中廊下を通って、奥の方の六畳に、俺たちは案内された。早立ちの客があって、そこが空いたものらしい。布団も
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング