しめてやったらと、衝動的な気持ちがちらと動きもしたが、それさえ気恥しくなってしまった。
 なんにも言うことはないのである。共通の話題とてもないのである。ただ彼女のそばで酒を飲んでおれば、それでもう充分なのだ。私は少し酒をすごした。そして酔っ払ってしまった。芸妓の一人が帰って来、私の相手をしてなにかと饒舌りだした時、私は面倒くさくなり、立ち上った。別れの言葉を阿媽さんになにか言ったか、どういう風に別れたか、それも殆んど覚えていない。ただ、も一度握手をしたらしい。油を塗ったような彼女の手の感触が、あとまで私の掌に残っていたのである。
 彼女にはそれきり逢わない。逢う機会もありそうにない。第一、彼女はあのままでいるのか、あれからどうしたのか、生死のほども分らないのだ。
 けれども、へんなところで、私は彼女に逢うことがある。
 先般、旅行中に、したたか酒に酔い、女たちとも戯れていた際、席にいた一人の女性に、私はピンカンウーリの阿媽さんを見た。年はずっと若く、容姿は可なり劣るが、全体の感じが彼女によく似ていた。私はそのひとを見ているうちに、心平らに気なごやかになって、まずい唄なんか口ずさみながら
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