。階を上るに随って、彼女たちの格式もよくなり、最上階のはもはや娼妓というよりも芸妓である。
その最上階の一房に、二人の芸妓がいた。まだ年は若いが、容姿といい芸といい、一流の売れっ妓で、料亭の宴席に出かけてることが多かった。この二人の身辺の世話をしてる阿媽がいた。阿媽といえば女中だが、一説では芸妓の養母だともいう。つまりは、日本の芸者屋のおかあさんに当るのであろう。
この阿媽さん、年齢は四十過ぎだが、まだみずみずしい美人だった。青い支那服を着、しなやかな黒髪を小さく束ね、纒足にちっちゃな沓をつっかけてる、古風な身なりだが、半月形の眉、澄みきった黒目、餅のような頬の肉付、小さな口のつややかな唇、すんなりした両手の指、微妙な曲線をゆるがせる腰……そのすぐれた容色は、如何なる名妓を持って来ても足許にも及ばない。
私はしばしば、彼女のところへ酒を飲みに行った。他の階のことは知らないが、その最上階では、客は芸妓を相手に、茶をすすり水瓜の種をかじりながら、ただ取り留めもない話で時間をつぶすのだった。
阿媽さんが客の前に出ることは殆んどなかった。然し、私はそこの阿媽さんと懇意になった。二人の芸妓が宴席に出かけてることが多かったせいもある。それよりも、この土地のラオチュウはたいてい即墨の地酒だが、彼女が特別に紹興の本場物の上等品を手に入れてくれたからである。それを錫の銚子に燗をして、彼女は隣室から持って来、十分間ばかり私の相手をし、そしてまた隣室に引っ込んでしまう。
私は手酌で飲み、ぼんやり時間をすごし、酒がなくなれば彼女に声をかける。彼女は銚子を持って現われ、十分間ばかり相手をしてくれる。
懇意になった、と言っても、ただそれだけのことである。彼女の名前も知らない、ということにしておこう。十年ほど前に彼女は良人と死に別れて、今のような稼業にはいったらしく、それ以外の経歴は何にも分らない、ということにしておこう。
私が行くと、彼女は芍薬の花のような立ち姿でにこと笑ってくれる、それだけで充分だったのだ。十分間差し向いでいても、むつかしいことは言葉が互に通じないので、殆んど無言に等しかった。愛欲の問題など、彼女の方にもなかったし、私の方にもなかった。
私にとっては寧ろ、彼女は愛欲からの護符だったのだ。青島から出発する前晩、私はまた彼女のところで酒を飲んだ。その時、彼女は覚束
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