バラック居住者への言葉
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)一つの生活――一つの生活[#「一つの生活」に傍点]ということ
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バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自分自身と、其他あらゆる悲惨とによって、初めて人間の生活というものを、本当に知ったに――感じたに違いない。
普通の生活に於ては、諸君の大部分は、生活というものをしみじみと味うことが、可なり少なかったことであろう。金銭や名誉は勿論、其他のいろんな事柄が、諸君の面前に、余りにまざまざと掲げられていたために、自分の生活を本当に感じ味うだけの余裕が、諸君には可なり欠けていたことであろう。所が此度の災禍によって、諸君の眼を惹きつけていたそれら外的な旗幟が、一度に消し飛ばされて、もはや眼を遮るものは何もなくなり、そして諸君の眼はじかに、己の生活の上に据えられたことであろう。
そして諸君は、其処に何を見て取ったか。
その一つは、家庭というものだったに違いない。
家庭――この言葉を吾々は平素余り無責任に取扱いすぎていた。然しながら、今や諸君の眼には、新らしい光に輝らし出された家庭というものが、本当に映ってきたことであろう。同じ家に幾人かの人間が一緒に暮している、というただそれだけのものではない。良人と妻と親と子、心と肉体との通い合った者共が、一つの生活――一つの生活[#「一つの生活」に傍点]ということが大切なのだ――の中に結び合わされている、そういう家庭なのである。それは全体で一つのものをなしている。その中から誰か一人を取去ることは、一人の人間の身体からどの部分かを取去ることと、殆んど同じであらねばならぬ。家庭全体として、その部分に傷と痛みとを感じ、その部分から血を流すのである。
そういう家庭が、バラックの生活に於て、諸君の眼に本当に映ったことであろう。平常の生活に於ては、良人は家庭外の仕事のために、妻は家政の煩わしさのために、子は自由勝手な嬉戯のために、別々の方へ心を向けがちだったであろうが、バラックの狭苦しい板囲いの中で、ランプの薄暗い光の下で、乏しい食膳のまわりに集って、皆で顔を見合す時、云い知れぬ家庭的感激が諸君の眼を湿ませなかったであろうか。
古の各家庭には、また現代でも素朴な各家庭には、大抵一の神棚があって、そこに家庭の神が祀られてるのを常とする。神というものは、人間の理想の具体化であると共に、人間の気高い感情の象徴である。家庭の神――それが本当の家庭の心である。バラックに住む諸君は、家庭の神に跪拝するの心地を、味い得たことであろう。
家庭を愛するの心は、他の博い愛の基をなすものである。神に奉仕せんがために己の家庭を捨てる、そういう生活様式も世にあることを、私は否定するものではない。然しながら、吾々及び諸君の生活様式では、家庭を捨てることは、他のあらゆる愛を捨てることになる。自分の家族よりもより多く隣人を愛するという者を、私は信ずることが出来ない。より多く自分の家庭を愛する者こそ、より多く隣人を愛するものである。愛という言葉の誤解を防がんがために、これを云い換えれば、自分の家族のことを本当によく考える者こそ、隣人のことを本当によく考える者である。
バラックの諸君よ、家庭というものを本当によく感じ味い考え給え。
それから、諸君の眼に映じた第二のものは、仕事というものだったに違いない。
住宅や家財や業務の便宜などを失って、バラック内に茫然としている諸君の心に、先ず猛然と起ってきたものは、何かを為したいという心、何かを為さずにはいられないという心、即ち働く意志だったであろう。この働くということは、必ずしも食を得るという功利的のものではなくて、もっと深い直接の要求だったに違いない。
人は命を繋ぐためには、食を摂らなければならないことは勿論である。然しながら、食を摂って命を繋ぐということは、何の問題にもならない。地震当時に食物を手に入れることが、罷災者の第一の要求だったには相違なかろうけれど、それはああいう場合の一時の現象で、生きてゆく上の生活の――主要な問題ではない。吾々が空気と食物とで命を繋いでるということは、吾々が地球上に住んでるということと同様に、単なる事実である。大地が吾々に必要だということが、吾々の生活に於て問題でない如く、空気と食物とが吾々に必要だということは、吾々の生活に於て問題ではない。それは根本の原則ではあるけれど、それを考えたとて何にもならない。ただ知ってさえおればよいのである。
生命を繋ぐということと、生きて
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