ジャングル頭
豊島与志雄
夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。酔客、ヨタモノ、パンスケ、男娼、などなどの怪物が横行していて、常人は足をふみ入れかねる。このジャングルを、一夜、警官の案内で坂口安吾は探検した。
だが、ジャングルは他にもある。近頃の若い婦人の頭髪を御覧なさい。パーマの長髪を、頭の二倍大、三倍大にふくらまして、颯爽と五月の風になびかしてる、と言いたいところだが、実は、ただもじゃもじゃ、くしゃくしゃ、後頭部から肩へ引っかついでるだけで、雀の巣どころの代物ではなく、全くのジャングルだ。
これが、頸筋のすっきりした長身の体躯ならば、まだよい。然し不幸なことには、彼女等の多くは、お尻だけは比較的大きいかも知れないが、胴体も寸づまり、脚も寸づまりのちんちくりんなのである。たとえ、ハリウッド好みのワンピース、ツーピースをまとい、ハンドバッグの革紐を肩にかけ、ハイヒールの上に反りかえろうと、その矮小な体躯は、所詮、ごまかせるものではない。そして徒らに、頭髪のジャングルだけが大きく目立つ。言わば髪の毛の化物なのだ。
こんなのを、ジャングル頭と言う。
彼女等は、自分の立姿を鏡に写して見たことがあるであろうか。鏡で見るのは、恐らく、顔とか髪とか襟元とか、部分的なものばかりであろう。もし立姿全体を、鏡で見るとか、或るいは障子に写った影絵で見るならば、そのお化け然たる恰好に、自分でもぞっとすることだろう。知らぬが幸だ。
これは、然し、外観だけのことである。そのジャングルを押し分け、頭脳の内部にまでふみ込んでみるならば、そこも、恐らくはひどいジャングルであろう。情意の涸渇、志操の頽廃、傲慢な功利主義と享楽主義。毒気ばかりが立ちこめて、清純な花の咲く余地はあるまい。
例えて言おう。晩春初夏の後楽園野球場には、しばしば、可憐な紋白蝶が一匹或るいは二匹、ひらひらと飛んでいる。砂地の上や青い芝生の上を、地面低く飛んでいる。観客で埋まったスタンドで四方を囲まれ、走り廻る選手や飛び交うボールの間をぬって、無心そうにひらひらと飛んでいる。その小さな白い蝶はいったい、どこから来たのであろうか、どこへ行くつもりなのであろうか、夜はどこで眠るのであろうかと、一片の感傷を持てというのではないが、ボールの行方を見守る合間に、蝶の姿にも少しく眼をやる
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