伝[#「マッチニ伝」に傍点]の準備をしていて、それは私の「英雄伝」の中にはいるはずになっていた。数年間かかって記録をとっていた。ここに述べるには不穏当な種々の理由から、私はその計画を中止したのである。
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私はまた、一世代のこの長い詩劇への結論として、人生の偉大な闘士が朗らかにはいりこむべき、一種の「自然交響曲」を――「海の静寂(八)」ではなく、「大地の静寂」を――計画していた。
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(八) ゲーテの名高い詩の表題の意味で、それはベートーヴェンによって作曲されている。
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私はこう書いている。「これらの人間的叙事詩に、革命劇にたいして企図してるのと同様な一つの結末(九)を与えたい欲求に、私はいつも立ちもどってくる。すなわち、あらゆる情熱も憎悪も自然の平和の中に融《と》け合う。無窮の空間の静寂が人間の擾乱《じょうらん》を取り囲んでいる。人間の擾乱は、水中に投ぜられた小石のようにその中に没する。」
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(九)「革命劇」への結末はその後書かれた。それは獅子座の流星群[#「獅子座の流星群」に傍点]である。
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常に一致についての考えである。人間相互の間の一致、人間と宇宙との一致……。
「抱擁し合え、無数の人々よ! 全世界へのこの接吻《せっぷん》!」(一〇)
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(一〇) シルレルの言葉。ベートーヴェンによって、第九交響曲の喜びの歌[#「喜びの歌」に傍点]の中に作曲されている。
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私はそれよりもむしろ、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の最後に、「愛と憎との厳《おごそ》かな結合たる諧調《かいちょう》」(一一)を、進みつつある行動の胸中におけるその力強い平衡を、選んだのである。なぜなら、その最後は一つの終末ではなくて、一つの宿駅だからである。ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]はけっして終わりはしない。ジャン・クリストフの死そのものは、律動の一瞬にすぎないし、永遠の大なる息吹《いぶ》きの息の間《ま》にすぎない……。
「他日われは新たなる戦いのためによみがえるであろう……。」(一二)
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(一一)ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の最後の場面参照。
(一二)瀕死《ひんし》のジャン・クリストフの最後の言葉。
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かくして、ジャン・クリストフはなお新時代の仲間となる。彼はたとい幾度死のうとも、常によみがえり、常に戦うだろう。「いずれの国の人にてもあれ、闘い、苦しみ――ついには勝つべき――あらゆる自由なる男女」の同胞で、彼はあり、またあるだろう。
一九三一年復活祭 ヴィルヌーヴ・デュ・レマンにて
[#地から2字上げ]ロマン・ローラン
底本:「ジャン・クリストフ(四)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日改版第1刷発行
※(一)〜(一二)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2008年1月27日作成
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