理解されることを、けっして恐るるな。影もなく覆面もなく、明瞭《めいりょう》に確実に、必要によっては重々しく、語れよ。そのためにいっそうしっかりと地面に接してさえおれば、その他はどうでもよろしい。そしてよりよく思想を打ち込むために、同じ語を繰り返すことが有効であるならば、繰り返し、打ち込み、他の語を捜すな。一語たりとも無駄《むだ》になすな。言葉は行動であらんことを!」
 これは、現代の美学主義に対抗して、今日でもなお私が主張してる原則である。行動を欲し行動をになってるある種の作品に、私はそれをやはり適用する。しかしあらゆる作品にではない。真に読むことを知ってる者は、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]と歓喜せる魂[#「歓喜せる魂」に傍点]との間の、職分や技術や調和や諧調《かいちょう》の本質的な差異を見てとるだろう。リリューリ[#「リリューリ」に傍点]やコラ[#「コラ」に傍点]・ブルーニョン[#「ブルーニョン」に傍点]のように、律動や音色や和音のまったく別な演技と結合とを要求する実質をもってる作品については、言うまでもないことである。
 それになお、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の中においてさえ、あらゆる巻が同じ厳密さで最初の要求に応じてはいない。初めの戦闘の清教主義は、かつて旅の終わり[#「旅の終わり」に傍点](女友達[#「女友達」に傍点]、燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]、新しき日[#「新しき日」に傍点])と題されていた第三部になると、ゆるんできている。主人公の上におりてきた年齢からくる和らぎをもってして、作品の音楽はいっそう複雑になり色合いに富んでいる。しかし頑固《がんこ》な意見はそれに注意を配らずに、全作品について、全|生涯《しょうがい》について、同じ一つの批判――あるいは黒のあるいは白の批判――で満足している。

 私のノートの綴《と》じ込みの中に、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の裏面を説明する豊富な記述が、やがては見出されることだろう。とくに、広場の市[#「広場の市」に傍点]および家の中[#「家の中」に傍点]に記載されてる現代社会に関する事柄について。しかしそのことを語るにはまだ時期が早い(六)。
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(六) このことについて私は、作中の人物と実在の人物とを同視しないように、読者に注意しておかなければならない。ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]はモデル小説ではない。しばしば現実の事件や個人を目がけてることはあっても、ただ一つの肖像をも――過去のも現在のも――含んではいない。しかしながら、記載されてるすべての人物はおのずから、創作の働きのなかで溶解され変形されたる、実人生の多くの経験や思い出によって養われている。したがって、現代の多数の著名な人々が、私の諷刺の中に自分の姿を認めるようなことになり、私にたいして深い憎悪をいだくようなことになった。その結果は、一九一四年戦役中、私の乱戦を超えて[#「乱戦を超えて」に傍点]の機会に、あるいはそれを口実に、現われたのだった。
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 けれども、初めの計画に予定されながら実現されなかった一部分のことを述べるのは、おそらく興味あることかもしれない。それは女友達[#「女友達」に傍点]と燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]との間に置かれるはずだった一巻で、その主題は革命であった。
 それはソヴィエット社会主義共和国連邦における現在の勝利ある革命ではない。あの当時(一九〇〇年より一九一四年の間)革命は打ち負かされていた。しかし今日の勝利者らをこしらえたものは昨日の敗者らである。
 私のノートの中には、除去されたその一巻のかなりつき進んだ草案がある。そこには、フランスとドイツとから放逐されてロンドンに逃亡し、各国からの亡命者や被追放者の群れに立ち交じってるクリストフがいた。彼はそれらの首領らの一人と親交を結んだ。それはマッチニ(七)あるいはレーニンのような素質を有する精神的偉人であった。この強力な煽動《せんどう》者は、その知力と信念と性格とによって、ヨーロッパのあらゆる革命運動の指導的頭脳となっていた。そしてクリストフは、ドイツとポーランドとに突発したそれらの運動の一つに、積極的に参加したのである。それらの事変や暴動や戦闘や革命各派の記述は、この巻の大部分を占めていて、最後に革命は抑圧され、クリストフは逃亡して、幾多の危険の後に、スイスに落ちのびた。そこでは情熱が彼を待ち受けていて、そして燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]となるのである。
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(七) 私は当時マッチニ
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