はいかなる情況のもとで世に生まれ出ることを求めたかを、ここに回想してみたいのである。

 ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]のことを、私は二十年間以上も考えていたのである。最初の観念は、一八九〇年の春ローマにおいて浮かんだ。最後の言葉は、一九一二年六月に書かれた。作品全体は右の期間以外にまたがる。私が見出した草案には、まだパリーの高等師範学校の学生だったころの一八八八年のものもある。
 最初の十年間(一八九〇―一九〇〇)は、おもむろな孵化《ふか》であり、内的夢想であって、私は眼を開いてそれに身を任せながらも、他の仕事を実現した、すなわち、大革命に関する最初の四つの戯曲(七月十四日[#「七月十四日」に傍点]、ダントン[#「ダントン」に傍点]、狼[#「狼」に傍点]、理性の勝利[#「理性の勝利」に傍点])、「信仰の悲劇」(聖王ルイ[#「聖王ルイ」に傍点]、アエルト[#「アエルト」に傍点])、民衆劇論[#「民衆劇論」に傍点]、その他。私にとってクリストフは、外部には見えない第二の生活であって、そこで私は、自分のもっとも深い自己と接触を保っていた。一九〇〇年の終わりまで私は、ある社会的連係によって、パリーの「広場の市《いち》」につながれていて、そこではクリストフと同様に、ひどく異邦人の感じがした。女が胎児を宿すように私が自分のうちに宿していたジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]は、私にとっては、犯すべからざる避難所であり、「静安の島」であって、荒立った海の中でただ私だけがそこに行けるのだった。私はそこに、将来の戦闘のためにひそかに自分の力を蓄積しておいた。
 一九〇〇年後、私はまったく自由な身となり、自分自身と自分の夢想と自分の魂の軍隊とだけを伴《とも》として、荒波の上に決然と突進していった。
 最初の呼号は、一九〇一年八月暴風雨のある夜、シュウィツのアルプス山の上から発せられた。そのことを、私は今日までかつて公表しなかった。それでも幾多の未知の読者は、私の作品の囲壁に沿って鳴り渡るその反響に気づいてくれた。人の思想の中のもっとも深奥なものは、高声に表白されてるところのものではけっしてない。ジャン・クリストフの眼つきに接しただけですでに、世界に散在してる未見の友人らは、この作品の源泉たる悲壮な友愛、この勇壮な気力の
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