フランス人はなんという不思議な民衆でしょう! 二十年前に私は、彼らはもう駄目だと思っていました……。ところが彼らはまたやり出しています。私の親友のジャンナンがそれを予言したことがありました。しかし私は彼が空《うつろ》な幻をかけてるのではないかと思ったのです。その当時どうしてそんなことが信ぜられましょう! フランスは当時そのパリーと同じように、崩壊や漆喰《しっくい》や破れ穴でいっぱいでした。「彼らはすべてを破壊してしまってる……なんという破壊的な民族だろう!」と私は言っていました。――ところが彼らは海狸《ビーバー》のような民族です。廃墟《はいきょ》の上を荒らしまわってると思ううちに、その同じ廃墟でもって、新たな都市の土台を築いています。四方に足場が立てられてる今となって、私にもそのことがわかってきました……。

[#ここから3字下げ]
事が起こったその時には、
馬鹿までそれを悟るとぞ……。
[#ここで字下げ終わり]

 実を言えば、やはり同じフランス式の無秩序です。四方に入り乱れてる群集の中で、それぞれ自分の仕事におもむいてる労働者の組を見分けるには、それに慣れなければなりません。御存じのとおり彼らは、何かするときにはかならずそれを屋根の上で叫ばずにはいられない連中です。また彼らは、何かするときにはかならず隣人のやってることを貶《けな》さずにはいられない連中です。もっとも丈夫な頭の人をも当惑させるほどのものがあります。けれど私のように十年近くも、彼らのうちで暮らした者なら、もう彼らの喧騒《けんそう》に欺かれはしません。それが仕事に熱中する彼らのやり方であることに気づきます。彼らはしゃべりながら働いています。そしておのおのの仕事場で自分の家を建てながら、ついには都市全体が建てられるのです。もっともよいことには、建築の全体があまり不調和ではありません。彼らは相反した種々の問題をいくら主張しても、みんな同じようにでき上がってる頭をもっています。したがって、彼らの無政府状態の下には共通の本能がありますし、規律の代わりになる民族的論理があります。そしてこの民族的論理の規律は、結局、プロシア連隊の規律よりもいっそう強固であるかもしれません。
 同じ勢いが、同じ建設の熱が、至る所にこもっています。社会主義者や国家主義者が、ゆるんだ国権の機関を締め直そうと競って働いてる、政治界においても、または、ある者は特権者のために貴族的な旧館を建て直そうとし、ある者は民衆に開かれて集団的魂が歌うべき大広間を作ろうとして、過去の改造者と未来の建設者とが共に働いてる、芸術界においても、みなそうです。それにまたこの巧妙な動物らは、何をなそうと常に同じ巣ばかりを作るのです。海狸や蜜蜂《みつばち》のような彼らの本能は、いかなる時代にあっても、彼らに同じ動作をさせ、同じ形を見出させるのです。もっとも革命的な者もおそらく、みずから知らず知らずに、もっとも古い伝統に執着してる者かもしれません。産業革命主義者やもっとも特異な新進著作家などのうちに、私は中世紀の魂を見出したことがあります。
 今や私は彼らの騒々しいやり方にふたたび馴《な》れましたので、彼らが働くのを愉快にながめています。けれどうち明けて言いますと、私はあまりに年老いてる厭世《えんせい》家ですから、彼らのどの家にはいっても安楽な心地はしません。私には自由な空気が必要です。とは言え、彼らはなんというりっぱな労働者であることでしょう! それが彼らのもっともすぐれた美点です。その美点のために、もっとも凡庸な者や腐敗した者までが奮起させられています。それにまた、彼らの芸術家らのうちにはなんという美の官能があることでしょう! 私はそれに昔はさほど気づきませんでした。あなたは私に物を見ることを教えてくださいました。私の眼はローマの光によって開かれました。あなたの国の文芸復興期の人たちは、私にこの国の人々を理解さしてくれました。ドビュッシーの音、ロダンの像、シュアレスの句は、あなたの国の一五〇〇年代の芸術家らと同じ系統のものです。
 それでも、私に不快なものが当地にはあまりないというのではありません。昔私をひどく怒らした広場の市[#「広場の市」に傍点]の旧知を、私はふたたび見出しました。彼らは昔とほとんど変わってはいません。しかし私のほうは悲しいかな、すっかり変わってしまいました。私はもう峻烈《しゅんれつ》な態度をとり得ません。彼らのうちのだれかを苛酷《かこく》に批判したくなるときに、私はみずから言います、「お前にはそんな権利はない、お前は強者だと自信しているが、彼らよりももっとひどいことをしてきたではないか、」と。それからまた、無用なものは何一つ存在していないこと、もっとも下賤《げせん》なものも劇の筋書きのうちに一つの役目をもってること、などを私は見てとることを覚えました。頽廃《たいはい》した享楽家も悪臭紛々たる不道徳家も、白蟻《しろあり》の役目を果たしたのでした。ぐらついてる家屋を建て直すにはまずそれをこわさねばなりませんでした。ユダヤ人もその神聖な使命に服従したのです。すなわち他の民族の間に他国の民衆として、世界の端から端まで人類統一の網を編む民衆として、いつまでも残っていることです。彼らは崇高な理性[#「理性」に傍点]に自由な天地を与えんがために、各国民間の知的境界を打倒しています。われわれの過去の信仰を滅ぼし、われわれが愛する過去の人々を殺害する、皮肉な破壊者、最悪の腐敗者も、神聖なる事業のために、新しき生のために、みずから知らずして働いているのです。それと同様に、超国境主義の銀行家の恐ろしい利益心も、反対の立場にある革命者と相並んで、また幼稚な平和論者とはいっそうよく相並んで、世界の未来の統一[#「統一」に傍点]を、幾多の災害の価によって、否応《いやおう》なしに築き上げています。
 御存じのとおりに、私は年老いました。私はもう噛《か》みつきません。私の歯は磨滅《まめつ》しています。芝居へ行きましても、私はもう無邪気な観客のように、役者をののしったり叛逆《はんぎゃく》者を侮辱したりはいたしません。
 静けき優雅の君よ、私はあなたに自分のことばかり語りました。けれども、私はただあなたのことばかり考えています。私がいかに自分の自我をうるさがってるかをあなたが知ってくだすったら! 私の自我は圧制的で呑噬《どんぜい》的なのです。それは神が私の首に結びつけた鉄枷《てつかせ》です。どんなにか私はそれをあなたの足下に差し出したかったことでしょう! でもそれはつまらない贈り物です……。あなたの足は柔らかい地面を踏むようにできており、美妙な音をたてる砂を踏むようにできています。私の眼に見えるあなたのなつかしい足は、アネモネの交じり咲いてる芝の上を、そぞろに通り過ぎてゆきます……(あなたはドリアの別墅《べっしょ》にあの後また行かれましたか?)……するともうあなたの足は疲れます。そしてこんどは、客間の奥のあなたの好きな隠れ場所で、読むでもない書物を手にして肱《ひじ》をつきながら、半ば横になってるあなたの姿が、私には見えてきます。私がうるさい男なものだから、あなたは私の言うことなんかに注意を向けはなさらないが、それでも親切に耳を貸してくださいます。そして辛抱するために、ときどき、自分自身の考えにふけられます。けれどもあなたは愛想がよくて、ふと私の一言で遠い思いから我に返られると、私の気に逆らわないように用心しながら、ぼんやりした眼に急いで気乗りの色をお浮かべになります。そして私も実はあなたと同じに自分の言ってることから遠く離れています。私も自分の言葉の響きをほとんど耳にしていません。あなたの美しい顔の上に現われる自分の言葉の反映を見守りながら、心の奥底では、あなたには言わない別な言葉を聴《き》いています。静けき優雅の君よ、私が口にしてる言葉と背中合わせのその言葉は、あなたの耳にもよくはいっています。けれどあなたはそれが聞こえないようなふうをされます。
 これで筆止めます。間もなくまたお目にかかれることと思います。私はこの地でやきもきいたしますまい。音楽会が開かれてる今ではしかたもありません。――お子さんたちの美しい小さな頬《ほお》に接吻《せっぷん》いたします。あなたから生まれたお子さんたちです。それで満足しなければなりませんから……。
[#地から2字上げ]クリストフ

「静けき優雅」の彼女は答えた。

 わが友よ、あなたがよく思い出されましたあの客間の片隅《かたすみ》で、私はあなたのお手紙を受け取りました。そして物を読むときによく私がいたしますように、お手紙をときどき休ませ、自分でもときどき休みながら、読んでゆきました。お笑いなすってはいけません。それは手紙が長くつづくようにといたしたのですから。そういうふうにして私はあなたと午後じゅうを過ごしました。子供たちは私が何を読みつづけているのか尋ねました。私はあなたのお手紙だと申しました。オーロラは気の毒そうに手紙をながめまして、「こんな長い手紙を書くのはさぞ嫌《いや》なことでしょうね、」と申しました。それで私は、私があなたに罰の課業として手紙を書かしたのではなくて、私とあなたとはいっしょに話をしてるのだということを、彼女に言ってきかせました。彼女はなんとも言わないで私の言葉を聞いていましたが、それから弟といっしょに次の室へいって、遊んでいました。しばらくたってリオネロが大声を出しますと、オーロラがこう申しているのが聞こえました。「騒いじゃいけません。お母さまがクリストフさんとお話をしていらっしゃるから。」
 あなたがフランス人についておっしゃったことに、私は興味を覚えます、そして別に意外とは存じません。フランス人にたいするあなたの不当な御意見を私がたびたびとがめましたことは、覚えていらっしゃいましょうね。フランス人を愛さないということはできます。けれども彼らはなんという怜悧《れいり》な民衆でしょう! 善良な心と強健な肉体とに救われている凡庸な民衆はいくらもあります。ところがフランス人は知力で救われております。知力は彼らのあらゆる弱点を洗い清めます、知力は彼らを生き返らせます。彼らは没落し倒壊し腐敗しているように見えるときにでも、自分の精神から不断に湧《わ》き出している泉の中に、新しい若さをふたたび見出すのです。
 私はあなたに小言《こごと》を申さなければなりません。あなたは自分のことばかり語るのを許してくれとおっしゃいました。あなたはほんとに瞞着家[#「瞞着家」に傍点]です。少しも御自分のことを私に聞かしてはくださいません。あなたのなすったことは何にも、あなたの御覧なすったことは何にも、私に聞かしてはくださいません。従姉《いとこ》のコレットが――(なぜあなたは彼女を訪《たず》ねてはくださらないのですか)――あなたの音楽会に関する新聞の切り抜きを送ってくれましたので、私はようやくあなたの成功を知ったのでした。そんなことをあなたはついでに一言おっしゃったきりです。それほどあなたはいっさいのことに無頓着《むとんじゃく》なのでしょうか?……いえそうではありません。成功したのは愉快だとおっしゃってください……。あなたには愉快なはずですもの。なぜなら第一に私に愉快ですから。私は悟りすましたあなたの様子を見たくはございません。あなたのお手紙は悲しい調子でした。それはいけません……。あなたが他人にたいしていっそう正当な意見をもたれるようになりましたのは、ほんとうによいことです。けれどもそれは、あなたがなすってるように、自分は彼らのうちの劣等な者よりもいっそう劣等だと言って、しおれ返る理由とはなりません。りっぱなキリスト教徒ならあなたをほめるかもしれません。けれど私はそれはいけないと申します。私はりっぱなキリスト教徒ではございません。私はまさしくイタリーの女ですから、過去を苦にすることは好みません。現在だけでたくさんです。あなたが昔どんなことをなすったか、それを私はよく存じてはおりません。あ
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