かりしています。二度目に彼女と会ったとき、私はその晩恐ろしく魘《うな》されました。彼女の夫となってその生きた旋風に生涯《しょうがい》結びつけられてるところを夢みました……。馬鹿げた夢で、彼女の実の夫はそんなことに苦しめられていないに違いありません。なぜなら、その家の中で見かけるすべての人たちのうちで、彼はおそらく彼女といっしょにいることがもっとも少ないようです。そして二人いっしょにいるときには、ただ戸外|運動《スポーツ》のことばかり話しています。二人はたいへん気が合っています。
 そういう人たちが、どうして私の音楽に成功を得さしたのでしょう? 私はそれを理解しようとはつとめません。私はただ私の音楽が彼らに新たな刺激を与えたことと思います。彼らは私の音楽から手荒いものを受けて感謝しています。彼らは今のところ肉付きのよい体躯《たいく》をもってる芸術を好んでいます。しかしその中にこもってる魂には夢にも気づきません。今日心酔していて明日は冷淡になり、明日冷淡であって明後日は誹謗《ひぼう》するようになり、しかもけっして中の魂を知ることはありません。芸術家はみなそういう目に会わされるものです。私は自分の成功に幻をかけはしません。私の成功は長くつづくものではありません。そして彼らからきっとひどい報いを受けるでしょう。――まずそれまでの間、私は不思議なことを見せつけられています。私の崇拝者らのうちでもっとも熱心なのは……(多数のうちの一人としてあげるのですが)……あのレヴィー・クールです。昔私と滑稽《こっけい》な決闘をやったあの好男子を、あなたは覚えていられるでしょうね。あの男が今では私の作をまだ理解していない人々に教えをたれています。しかもきわめてよくやっています。私のことを云々《うんぬん》するすべての者のうちで、彼はまだいちばん賢明です。他の連中がどれくらいの人物かは御判断に任せます。確かに私は自慢するほどのことはありません。
 私はみずから誇りたくありません。人がほめてくれるそれらの作品を聞くと、あまりに気恥ずかしくなります。私はその中に自分の姿を見てとり、そしてそれがりっぱだとは思われません。ほんとうに見ることを知ってる者にとっては、音楽の作品はなんという無慈悲な鏡でしょう! 彼らが盲目で聾であるのは幸いなるかなです。私の作品の中には自分の惑乱と弱点とが多くはいっていますので、時としますと、それらの悪魔の群れを世に放《はな》って悪い行ないをしてるように、我ながら思われることがあります。聴衆が落ち着いてるのを見ると初めて安堵《あんど》します。彼らは二重も三重もの鎧《よろい》をつけています。何物からも害せられることがありません。もしそうでなかったら私は天罰を受けることでしょう……。あなたは私が自分自身にたいしてあまりに厳格だとおとがめなさいます。けれどそれは、私ほどによく私自身を御存じないからです。人はわれわれがどういうものになってるかを見てとります。しかしわれわれがどういうものになり得たろうかを見てとりはしません。そして人々がわれわれをほめるのは、われわれ自身の価値から来たところのものについてよりもむしろ、われわれを運ぶ事変やわれわれを導く力などから来たところのものについてです。私に一つの話を述べさしてください。
 先日の晩、私はある珈琲《コーヒー》店へはいりました。この種の珈琲店では、変なふうにではあるがかなりいい音楽がやられています。五、六の楽器をピアノに添えて、交響曲《シンフォニー》やミサ曲や聖譚曲《オラトリオ》などが演奏されています。ちょうどローマのある大理石細工商のうちで、暖炉の置物としてメディチ礼拝堂を売ってるのと同じです。そんなことは芸術に役だつようです。芸術を世の中に普及させるためには、その合金の通貨を作らなければいけません。それにまたこれらの音楽会では期待が裏切られることはありません。番組は豊富で演奏は真面目《まじめ》です。私はそこで一人のチェリストに会って、交わりを結びました。彼の眼は不思議に私の父の眼を思い出させました。彼は私に身の上を語ってきかせました。彼の祖父は百姓であって、父は北方のある村役場に雇われてる小役人でした。親たちは彼をりっぱな者に、弁護士になすつもりでした。そして近くの町の学校にはいらせました。しかし強健粗野な彼は、弁護士なんかになろうとする熱心な勉強には不適当でして、窮屈な所にじっとしてることができませんでした。彼は壁を乗り越して外に出で、野の中を歩き回り、娘たちを追っかけ回し、自分のたくましい力を喧嘩《けんか》に費やしました。その他の時はただぼんやり彷徨《ほうこう》して、とうていできもしないような事柄を夢みました。そしてただ一つ彼の心をひきつけるものがありました。それは音楽です。なぜだかは神にしかわかりません。彼の身内には音楽家は一人もいませんでした。ただ一人は大伯父《おおおじ》だけが例外でした。この大伯父は多少調子の違った人物で、田舎《いなか》の変人とも言うべき人でした。そういう変人たちは、往々|際《きわ》立った知力と天性とをもちながら、傲然《ごうぜん》と孤立してるうちに、狂的なくだらない事柄にそれを使ってしまうものです。ところでこの大伯父は、音楽に革命をきたすほどの新しい記号法を一つ――(それからなおも一つ)――発見したのでした。言葉と歌と伴奏とを同時にしるし得る速記法を見出したとまで自称していました。しかも自分では一度もそれを正確に読み返すことができなかったのです。家の者たちはこの好々爺《こうこうや》を馬鹿にしていましたが、それでもやはり自慢にしていました。「これは気違い爺《じい》さんだ、けれど、天才であるかもわかったものではない……」と皆は考えていたのです。――そしてたぶん彼から音楽癖がその甥《おい》孫に伝わったのでしょう。その町ではどういう音楽を聞くことができたでしょうか……。とは言え、悪い音楽もよい音楽と同じくらいに純潔な愛を人に起こさせるものです。
 不幸なことには、音楽にたいする熱情なんかはその地方では認められなかったようです。しかも少年の彼は、大伯父のような堅固な狂癖をもっていませんでした。彼は音楽狂の大伯父の労作を人に隠れては読みふけって、それが彼の不規則な音楽教育の根底となりました。彼は虚栄心が強く、父や世評の前におずおずしていましたので、成功しないかぎりは自分の野心をもらさないようにしました。フランスの多くの小中流人のうちには、気弱さのために、家の者たちの意志に反抗することができず、表面上それに服従して、自分のほんとうの生活のほうは、たえず人に隠れて営んでいるような者が、非常にたくさんありますが、善良な彼も家の者たちに圧迫されて、それと同じことをしました。自分の好む道へは進まないで、人から課せられた仕事へ趣味もないのにはいってゆきました。けれどもその方面では、成功することも華《はな》やかに失敗することもできませんでした。どうかこうか必要な試験にだけは及第しました。それによって彼が見出したおもな利益は、田舎の社会と父親との二重の監視からのがれたことでした。法律はつくづく嫌《いや》でしたから、それを自分の職業とはすまいと決心していました。しかし父が存命してる間は、あえて自分の意志を表明しかねました。断然たる処置をとるまでにはまだ時を待たねばならないことを、彼はおそらく苦にはしなかったでしょう。将来自分のなすことやなし得ることなどをぼんやり空想して、一生を過ごしてしまうような者が世にはありますが、彼もその一人でした。さし当たり何にもしませんでした。新しいパリー生活のために惑わされ酔わされて、若い田舎者の乱暴さで、女と音楽との二つの情熱にふけりました。逸楽と音楽会とにのぼせ上がってしまいました。そして幾年も無駄《むだ》に送って、自分の音楽教育を完成するような手段をも講じませんでした。猜疑《さいぎ》的な高慢心と独立的な短気な悪い性質とのために、なんらの稽古をもなしつづけることができず、だれにも助言を求めることができませんでした。
 父が死んだときに彼はテミスとユスティニアヌスとを共に追っ払ってしまいました。そして作曲し始めました。けれど必要な技能を修得するだけの元気はありませんでした。怠惰な彷徨《ほうこう》と快楽の趣味との根深い習慣のために、真面目《まじめ》な努力ができなくなっていたのです。物を感ずることはきわめて鋭敏でしたが、思想は形式とともにすぐ逃げ去ってしまいました。そして結局平凡なことしか表現できませんでした。もっともいけないのは、この凡庸人のうちに何かある偉大なものが実際に存在していたことです。私は彼の旧作を二つ読んでみました。所々に奇警な観念がこもっていて、しかもそれが荒削りの状態のままですぐに変形させられています。泥炭《でいたん》坑の上に鬼火が燃えてるようなものです……。そして彼は実に不思議な頭脳の所有者です。私にベートーヴェンの奏鳴曲《ソナタ》を説明してくれましたが、その中に子供らしい奇体な物語があるのだと見ています。しかし彼は実に熱情家で、どこまでも真面目な男です。ベートーヴェンの奏鳴曲のことを話すときには、眼に涙を浮かべます。愛するもののためになら死んでも恨みとしますまい。滑稽《こっけい》でまた人の心を打つ人物です。私は彼を面と向かってあざけってやりたくなるかと思えば、すぐに抱擁してやりたくなるのが常です……。真底から正直な男です。パリーの各流派の法螺《ほら》と虚偽の光栄とをひどく軽蔑《けいべつ》しています――それでも、成功してる人々にたいしては、小中流人風の無邪気な感嘆の念をいだかせられるのです……。
 彼はわずかな遺産を得ましたが、数か月のうちに早くもそれを使い果たしてしまいました。そして生活に困ってくると、こういう種類の人にありがちな罪深い正直さで、貧乏な娘を誘惑して結婚しました。彼女は音楽を愛してはしませんが、美しい声をもっていて音楽をやっていました。彼は彼女の声とチェロをひき覚えてる凡庸な才能とで生活しなければなりませんでした。もとより彼らはすぐにおたがいの平凡さを見てとって、たがいに我慢できなくなりました。女の児《こ》が一人生まれました。父親はその娘に幻をかけました。自分のなれなかったものに娘がなってくれるだろうと考えました。娘は母親に似ていました。一片の才能もないピアノひきになりました。彼女は父を敬慕していて、父の気に入るように仕事を励みました。彼らは幾年もの間温泉町の旅館を回り歩いて、金銭よりもむしろ多く恥辱を集めてきました。娘は病弱な上に過労のため死にました。細君は力を落として日に日にいらだたしくなりました。それは実に底知れぬ悲惨で、それから脱せられる望みもないし、とうてい実現できないとわかってる理想にたいする感情のために、いっそうひどくなされてる悲惨でした……。
 一|生涯《しょうがい》憂苦の連続であるこの憐《あわ》れな落伍《らくご》者を見ながら、わが友よ、私はこう考えたのです。「自分もこうなったかもしれないのだ。その男と自分との幼時の魂には共通の特質がある。そして身の上のある事件も似通っている。音楽上の思想にもある類似点が見出される。ただ彼の思想は中途で止まってしまっただけだ。自分が彼のように没落しなかったのは何によるのか? もちろんそれは自分の意志によるのである。しかしまた人生の偶然事にもよるのである。またたとい意志だけだとしても、自分がその意志を得ているのは、ただ自分の価値だけによるのであろうか? 否むしろ、自分の民族、自分の友人ら、自分を助けてくれた神、によるのではないだろうか?……」こういう考えは人を卑下させます。芸術を愛し芸術のために苦しんでるすべての人にたいして、兄弟らしい感じを起こさせます。もっとも低い者ともっとも高い者との間の距離は大きいものではありません……。
 そこで私は、あなたが手紙に書かれていたことを考えました。あなたの言われるところは道理です。芸術家たる者は他人を助け得る間は隠退してはいけない。
前へ 次へ
全34ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング