わち、人を害しないということだった。彼の役割は済んでしまった。人類の大潮を湧《わ》きたたせる力[#「力」に傍点]は、単に行動を解放するための一つの道具として彼を使ったばかりらしかった。一度秩序ができ上がると、彼はもう何物でもなくなった。行動は彼がいなくても引きつづいた。彼は行動が引きつづいてるのをながめながら、自分一身に関する不公正にはおおよそ忍従したが、自分の信念に関する不公正にはどうしても忍従できなかった。なぜなれば、彼は自由思想家であり、あらゆる宗教家から解放されてると自称し、クリストフを変装した僧侶《そうりょ》だと戯れに見なしていたけれど、それでもやはり、自分の奉仕してる夢想を神とする力強い精神の例にもれず、自分自身の祭壇をもっていたのである。そして今やその祭壇は空《から》になっていた。エマニュエルはそれを苦しんだ。人があれほど苦心して勝利を得させようとしてきた神聖な観念、すぐれた人々がそのために一世紀間あれほど迫害されてきた神聖な観念、それが今新来の人々から足下に蹂躙《じゅうりん》されてるのを見ては、どうして悲しまずにおられよう! フランス理想主義のみごとなる遺産――聖者や殉
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