に燃ゆる眼瞼《まぶた》を押しあてる。二人して口をつぐみ眼を閉じる。しかも私は汝の眼の得も言えぬ光を見、汝が無言の口の微笑《ほほえ》みを吸う。そして汝の胸に身を寄せかけながら、永遠の生の鼓動に耳を傾けるのだ。
[#改ページ]
一
クリストフはもはや過ぎ去る年月を数えない。一滴ずつ生は去ってゆく。しかし彼の[#「彼の」に傍点]生は他の所にある。それはもう物語をもたない。物語はただ彼が作る作品のみである。湧《わ》き出づる音楽の絶えざる歌は、魂を満たして、外界の擾音《じょうおん》を感じさせない。
クリストフは打ち勝った。彼の名前は世を圧した。彼の髪は白くなった。老年がやってきた。しかしそれを彼は気にかけない。彼の心は常に若々しい。彼は自分の力と信念とを少しも捨てなかった。彼はふたたび平静を得ている。しかしそれはもはや燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]を通る前と同じではない。彼は自分の奥底に、暴風雨の轟《とどろ》きをまだもっているし、荒立った海が示してくれたある深淵《しんえん》の轟きをまだもっている。戦闘を統ぶる神の許しがなければ、だれもみずから自分の主であると自惚《うぬぼ》れ
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