でしようという滑稽《こっけい》な考えはいだかなかった。彼女はきわめて怜悧《れいり》であって、自分の限度を心得ていた。しかし彼女の正しい純なる声は、彼が自分の魂の調子を合わせる音叉《おんさ》だった。彼はその声が自分の思想を反響するのが前もって聞こえる気がして、もうそれだけで、反響されるに足る正しい純潔なことをしか考えなかった。りっぱな楽器の音は音楽家にとっては、自分の夢想がすぐに具現される一つの美しい身体に等しいものである。たがいに愛する二つの精神の融解の不可思議さよ。たがいに相手の有するよきものを奪い合う。しかしそれも自分の愛でそれを豊富にして返さんがためにである。グラチアはクリストフに自分が彼を愛してることを憚《はばか》らず言っていた。遠く離れてるために彼女は前よりいっそう自由に話をするようになっていた。それはまた、けっして自分は彼のものとなることがないだろうという確信のためでもあった。宗教的な熱情を伝えるその愛は、彼にとっては平安の源泉であった。
その平安を、グラチアは自分がもってる以上に与えていた。彼女の健康は破られ、彼女の精神的平衡はひどく害された。息子《むすこ》の容態もよく
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