きを見せている雪のアルプス連山、ダ・ヴィンチ式の山々。アペニン山脈に落ちてくる夕闇《ゆうやみ》。ファランドルのように何度も繰り返し引きつづく律動《リズム》をもって、蜿蜒《えんえん》とつづいてる険しい小山を、曲がりくねって降りてゆく列車。――そして突然、坂道の麓《ふもと》に、あたかも接吻《せっぷん》のように人を迎える、海の息吹《いぶ》きと橙樹《とうじゅ》の香。海、ラテンの海とその乳光色の光、そこには翼をたたんだ幾群もの小舟が、ゆったりと浮かんで眠っている……。
 海岸の一漁村で汽車は止まったまま動かなかった。大雨のためにジェノヴァとピサとの間の隧道《すいどう》が崩壊した、ということが旅客らに伝えられた。どの列車もみな数時間遅延していた。クリストフはローマ直行の切符をもっていたが、他の乗客らの物議をかもしたその不運を、かえって非常に喜んだ。彼は歩廊《プラット・ホーム》に飛び降り、停車の時間を利用して、海の景色にひかされて出かけて行った。彼はすっかり海にひきつけられたので、一、二時間後に列車が汽笛を鳴らしてふたたび進行しだしたときには、小舟に乗っていて、列車が通り行くのを見ながら「御機嫌《ご
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