た。彼女は矜持《きょうじ》のうちに意地張っていた。クリストフにそばにいてもらいたくはあったが、ついて来ることを禁じたあとのことだった。「私はあまり弱っています、あなたに助けてほしゅうございます……。」と今になって白状することもできがたかった。
ある夕方、心痛してる者にとってはいかにもつらい薄暮のころ、彼女が山荘の行廊《こうろう》に立っていると、眼にはいった……。索条鉄道の停車場から登りになってる小道の上に、それが見えたような気がした……。その人は急ぎ足に歩いてきた。背を少しかがめて躊躇《ちゅうちょ》しながら立ち止まった。ちょっと顔をあげて山荘のほうをながめた。彼女は見られないようにと家の中に駆け込んだ。両手で胸の動悸《どうき》を押えながら、感動しきって笑みを浮かべた。彼女はほとんど宗教を信じていなかったが、そこにひざまずいて両腕に顔を隠した。何物かに感謝せずにはいられなかった……。それでもまだ彼はやって来なかった。彼女は窓のところへもどって行き、窓掛の後ろに隠れてながめた。彼は山荘の入り口に、畑地の垣根《かきね》を背にして立ち止まっていた。あえてはいり得ないでいた。彼女は彼よりもいっ
前へ
次へ
全340ページ中181ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング