残っている。そこには、貪欲《どんよく》なヨーロッパのまん中に、二十四連邦の小島が残存している。(それもいつまでのことであろうか?)もちろんそこには、旧都[#「旧都」に傍点]の詩的幻影は輝いていない。人の呼吸する空気に神々や英雄らの香を交じえる歴史は存在していない。しかし力強い音楽が赤裸な大地[#「大地」に傍点]から立ちのぼっている。山々の線は勇壮な律動《リズム》をもっている。そして他のどこにおけるよりもここでは、根原的な力との接触が感ぜられる。クリストフがこの地に来たのは、ロマンチックな楽しみを求めんがためにではなかった。一つの畑地、数本の樹木、一筋の細流、広い青空、それだけで彼は生きるに十分だった。故郷の土地の穏やかな顔つきのほうがアルプス山の巨人と神との争闘[#「巨人と神との争闘」に傍点]よりも、彼にはいっそう親しみ深かった。しかし彼は、この地で力を回復したのだということを忘れ得なかった。この地において神は燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]の中で彼に現われたのだった。彼はここへもどり来たって、感謝と信念とのおののきを感ぜざるを得なかった。彼は孤独ではなかった。生に痛められたいかに多くの生の闘士らが、ふたたび戦闘を始め戦闘の信念を持続するために必要な気力を、この土地でふたたび見出したことであろう!
 この国で暮らしているうちに、彼はこの国をよく知ることができた。通り過ぎる人々の多くの眼には、ただ欠点しか映じてはいない。この強健な土地のもっとも美《うる》わしい特質を汚す旅館の癩病《らいびょう》、世界の肥満した人々が健康を購《あがな》いに来る奇怪な市場たる外国人の町々、皿《さら》数のきまった食事、動物の塚穴《つかあな》の中に投げ捨てられた獣肉の濫費、子馬の声に音を合わせる娯楽場の音楽、退屈してる金持の馬鹿《ばか》者どもを嫌《いや》な頓狂《とんきょう》声で喜ばせる賤《いや》しいイタリー道化《どうけ》役者、または、商店の陳列品の低劣さ、すなわち木彫の熊《くま》や箱庭の家やつまらぬ置物など、なんらの創意もないいつもきまりきった品物、破廉恥な書物を並べてる正直な本屋など――すべて、無数の閑人《ひまじん》どもが、賤民《せんみん》の娯楽より高尚でもなければまた単に活発でもない娯楽さえ、少しも見出すことができないで、毎年なんらの喜びもなくぼんやり飲み込まれるそれらの環境の、低級な精神
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