てはいけないことを、彼は知っている。彼は自分の魂のうちに二つの魂をになっている。一つは高い平原で、風に打たれ雲に覆《おお》われている。も一つはそれの上に高くそびえていて、一面に光を浴びてる雪の峰である。人はそこにとどまることができない。しかし下方の霧に冷え凍えるときには、太陽のほうへのぼってゆく道がわかっている。クリストフはその靄《もや》かけた魂の中で、ただ一人きりではない。友たる音楽、強健な聖チェチリアが天に聴《き》き入ってる大きな静かな眼をして、自分のそばにいることを、彼は感じている。そして、剣によりかかって口をつぐみ夢想している使徒パウロ――ラファエロの画面の中のパウロ――のように、彼はもはやいらだたず、もはや戦おうとは考えない。彼は自分の夢想を築き上げる。
彼は生涯《しょうがい》のこの時期において、ことにピアノや室内楽のために作曲した。そういう方面ではより自由に大胆な試みができる。思想とその具現との間に仲介物が少ない。思想が途中で弱ってくる隙《ひま》はない。フレスコバルディーやクープランやシューベルトやショパンは、その表現と形式との大胆さによって、管弦楽の革命者らより五十年も先立ったのである。クリストフの強健な手がこね上げた音響の捏粉《ねりこ》からは、いまだ世に知られぬ和声《ハーモニー》の集団が、人を眩暈《めまい》せしむるばかりの和音の連続が、出て来た。それは現今の感受性が聞き取り得る音のうちの、もっとも遠い縁故のものから発生してるのだった。そして人の精神の上に、神聖なる惑わしを投げかけた。――しかしながら、偉大な芸術家が大洋の底に沈んでもたらしてくる獲物《えもの》に馴《な》れるには、公衆にとっては時間を要する。クリストフの近作の大胆さを理解し得る者は、きわめて少数の人々だった。彼の光栄はすべて初期の作品のおかげだった。成功しながら人に理解されないということは、救済の道がないように見えるので、不成功のおりよりもいっそう辛《つら》いものであって、その感情のためにクリストフのうちには、唯一の友の死亡以来きざしていた、世間から孤立するというやや病的な傾向が、ますます強くなってきた。
けれども、ドイツの門戸はふたたび彼へ開かれていた。フランスでも、あの悲壮な暴挙は忘れられていた。彼は自分の欲する所へはどこへ行こうと自由だった。しかし彼はパリーにおいて自分を待ち
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